『アイーダ』 by パリ・オペラ座
ディズニーミュージカル『アイーダ』の原点といえば、
もちろん、ヴェルディーのグランド・オペラ『アイーダ』。
本家オペラの『アイーダ』は、今まで何度か見ている。
去年の秋には東京ドームでの『アイーダ』に期待して、
一番高い席のチケットを買ってあったのだけど、、、中止(笑)
そう、このヴェルディーの『アイーダ』は、ともかくスケールがでかく、
実際にピラミッドの前で上演されたこともあったりする。
ところが、2013年の秋に、
パリ・オペラ座が『オペラ・バスティーユ劇場』にかけた『アイーダ』は、
新進気鋭の演出家「オリヴィエ ピィ(Olivier Py)」の手によって、
斬新な演出のオペラとして登場した。
で、それが「ライブビューイング」として映画になり、日本でも公開されている。
もちろん、さっそく渋谷『ル・シネマ』の初日に駆け付けた。
そして、
その斬新で、強引で、煌びやかな演出に驚いたし、圧倒された。
けど同時に、今までにないほどの強い衝撃と、感銘と、理解ができたと思う。
一つには、映画なので、歌手の表情を明確に読み取ることができるし、
舞台での(大雑把な)字幕とは違って、
なにしろ映画の字幕なので、内容がとても解りやすい。
さらにより深く『アイーダ』の物語を理解できたのは、
この斬新な演出がただの奇抜さではなく、
『アイーダ』の本質や、ヴェルディーの思いを捉えての演出だからだ。
ともあれ、ディズニー版『アイーダ』が好きな人には、大いにお薦め。
その斬新な演出に関しては、「つづき」の中で。
もちろん、映画を観る人は、観たあとで・・・
この『アイーダ』のクリエイティブ・スタッフ達は、
それまでの「ただ大がかりで派手な舞台にしたくない」と思ったようだ。
と、いうのも、登場人物が為政者側にいるから解り難いけど、
この物語は「大きな社会の波」に翻弄される「小さな個人の物語」なのだ。
それはむしろ、ディズニー版『アイーダ』のほうが解りやすいだろう。
それを表現するために、このオペラ舞台は、
「大きな社会の波」と「小さな個人の物語」のコントラストを重視している。
もちろん「音楽」においてもそう。
と言うよりも、むしろ、
音楽(楽譜)に表現されていることを丁寧に拾うと、
『アイーダ』という物語がそのコントラストをテーマにしていることが、解るそうだ。
たとえば、最も有名な『凱旋行進曲』は、まさに「大きな社会の波」だし、
一幕でラダメスが歌い上げる『清きアイーダ』は、
実に可愛らしくもヘタレな「小さな個人ラダメスの物語」だ。
ヴェルディは、では、どうしてこんなコントラストを描いたのだろうか?
と、パリ・オペラ座のスタッフは考えて、、、、
それを当時のイタリアの状況と、
その状況の中でのヴェルディーの言動に、その解答を見出したらしい。
つまり「イタリア統一運動」と、
それを支持して政治家にまでなったヴェルディ、という背景。
おかげで、
冒頭には血に染まったイタリア国旗を持ったエチオピア人が出てくるし、
エジプトの神殿は金ピカの「ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂」だし、
そこで振られる旗は、当時イタリアを支配していたオーストリアのもの。
更には、連行されてきたエチオピアの民が辿るのは、
まるで虐殺されたユダヤの民のように表現される。
こうした「ここ2世紀ほどの血なまぐさい光景」の中で、
改めて主役3人のドラマを観ていると、
「なるほど、これが、時代に翻弄された人々の思いか・・・」
と、ウェルディーが『アイーダ』に込めたメッセージが際立ってくる。
さて、
こうして「立場を忘れて、実は個人的な事」を歌っている俳優だけど、
なにしろ、ともかく、主役のアイーダが美しい!
ウクライナ出身の「オクサナ ディカ Oksana Dyka」という人で、
やはり、その美貌と、豊かな声で人気らしい。
と、言うわけで、最後にその麗しのアイーダと、
やっぱりどのみち「ヘタレ」なラダメス君の痴話喧嘩を貼っておこう。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント