『emptyrecord-からっぽ-』 @ アルテリオ小劇場
舞台は、ちょっと「不条理劇」というか、
流行の言葉で言えば「スピリチュアル」な感じで、
「理解しよう」と構えていると、置いて行かれる。
ただし、テーマはとてもはっきりしていて、
これまた流行の言葉で言えば「断捨離劇」で(笑)
「支配からの離脱」が物語の筋という事になる。
殆んどの人が「時間」に支配され、多くの人が「過去」に支配され、
しばしば「愛」にまで支配されている。
これらの支配者と意識的に向き合う事で、
やがて「ほんとうの自分」を感じ取ることができる。
カーテンコールでも歌われた曲が、
その「ほんとうの自分」と向き合う境地と意識を歌っていて印象的。
たぶん映画だったら、とても解かりやすいものになるんだろうけど、
舞台でこれを「やってしまおう」という意気込みと、
上野くんを始めとする「支配側の象徴」として登場してくる役が、
それぞれの俳優さんの個性と云うかパワーと云うか、、、で彩られていて、
それが可笑しかったり、厳しかったり、辛かったり、可愛かったりして、
「演劇を観る楽しさ」が満載された作品になっている。
タイトルにある「emptyrecord」の「empty」を、
どう考えるかも、この舞台を読み解く一つの鍵になっていると思った。
舞台では、しばしばスクラッチ・ノイズが響いていて、
「レコードを聴いている」という事が分かる。
レコードに記録されてるのが「empty=虚しさ」であるという事。
けれど、
レコードは、そもそも、「empty=からっぽ」であったという事。
そしてまた、
「からっぽ」だったレコードには様々な「虚しさ」とともに、
「大切な事」も記録され、そのすべてを持ち続けなければならないという事。
(そういえば「想い出」と「記憶」の違い、なんて命題があったなあ・・・)
考えてみれば、「レコード」に書き込まれた事は、消すことが出来ない。
デジタル情報ならDeleteしてしまえば不要なものが消せるのに・・・・
「レコード」は、うっかり付けた傷さえもずっと残り続ける。
そうした「レコード」を抱えながらも生き続けていのが人生なんだけど、
だからこそ、、、、というのが、この舞台のメッセージなのだと解釈した。
『オリーブ』同様、実に深みがあって面白い。
ぜひとも再演してほしい演目だ。
舞台の作者・西川大貴くんデザインのカレンダーとともに。。。
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