『四十九日のレシピ』
別に泣かされる映画が良いとは思わないし、
たとえば最近の『そして父になる』も、
とても素晴らしい映画だと思ったけれど、まったく泣けはしなかった(笑)
で、この『四十九日のレシピ』で、
危うく声をあげそうになる程に泣かされてしまったのは、
実は物語そのものでは無く、
この映画の「映画としての表現方法」に圧倒されて、だった。
この映画は、その構造上、「いま」と「過去」を往ったり来たりする。
で、この映画の監督はとても明確な意図をもって「いま」と「過去」をつなぎ、
その意図自体もとても美しい。
けど、とあるシーンでの「過去」へのつなぎ方は、
もう「それは卑怯だ!」としか言いようのないもので・・・
その場面からの10分間ほどは、
それなりに多くの映画を観てきたみかん星人にとっても、
かつて経験した事が無い程の高レベルで、
脳内がドーパミンに浸されるのを感じていた。
そもそもこの映画の「画」作りはとても変わっていて、
いつも「船酔いしそうな映画」に文句を言ってきていた私にとっては、
まさに「待ってました!」とばかりに素晴らしかったのだけれど、
ここまで徹底的に「画」に拘っている映画を観ると、
「うん、やっぱり日本映画の凄味は、こうした画にこそあるな」と、
日本古来の「茶室の窓」が表現する美しさにも通じる価値観を、
再認識できた。
物語としても、
「生き残った者がどう生きるべきか」だけではなく、
「逝ってしまった人が誰だったのか」を考えさせる視点は、
実に清々しく、また示唆に富んでいると思う。
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