『しあわせの詩』 #さんと、♭さん。
さて、この、素晴らしい『しあわせの詩』は、
主役とも言うべき役どころが、ダブルキャストだ。
公式に記載されている解説を引用すると、、、
人間の健役、キツネの桔平役の2役を、
上野聖太と内藤大希が、Wキャスト、2バージョンで上演いたします!
という事で、重要な役を交代で演じるというダブルなのだ。
(日本初演時の『レ・ミゼラブル』みたいだよね・・・)
ダブルキャストというのはよくある事だし、
「主演が交互に」というのも、たまに見かける。
ただ、この『しあわせの詩』でのダブルキャストは、
今までに経験した事の無い、ちょっと不思議な違いを感じた。
近くのモスでの休憩をはさんで、
この二つのバージョンを続けて観劇してきた。。。
ちょっとだけ踏み込んで、比べてみたいと思う。
先ずは「#」バージョン。
なんといっても「桔平」という狐の素直な無邪気さに惹かれる。
また、冒頭から「健」が抱えている闇の深さにドキドキしてしまう。
若々しく動きも軽快な内藤くんが見せてくれる陽気な狐は、
この物語が「ファンタジー」であることを印象付けてくれるし、
いつにも増して重厚な上野くんが好対照を描き出す。
ミュージカルとしても、狐のコーラスに艶がある。
さて・・・
もう一方は「♭」バージョン。
(前の記事の最後にリンクした歌は、こっちのバージョン)
実は、こっちを先に観たのだけど、
こちらは「ファンタジー」というよりも「ミステリ」と云った雰囲気だ。
もちろん、物語を知らないままに観たから、そう感じたという事はあるが、
「#」を観た後になって考えても、
内藤くんの「健」は、とてもミステリアスな雰囲気だし、
上野くんの「桔平」は、「訳知りで達観した狐」に見えていた。
ともかく「狐」をどっちが演じるかで、物語がまったく違って見える。
「#]の無邪気な狐と、「♭」の含みのある狐の違いは、とても大きい。
たぶん、物語が持っている魅力は、「#」の方が分かりやすいだろう。
オリジナル旗揚げ公演よりも「シャープ」しているのかな、とも感じる。
一方の「♭」は、オリジナルの『しあわせの詩』を深く掘り下げて、
まさに「フラット」させたというイメージかもしれない。
で、いい加減初老のみかん星人にとっては、この「♭」は、とても沁みた。
まだ50年とは言うものの、それぐらいの時間を経験してくると、
「どうあがいても、物事は、収まるべき処に収まる」
なんて事が、うっすらと解ってくる。
それは、この『しあわせの詩』の物語のテーマにも通じているのだけど、
「♭」バージョンでは、これがとても深い部分で伝わってくるのだ。
「♯」がみせてくれる、無邪気ゆえの一途さで届く未来も、
「♭」が慎重な熟慮の積み重ねの先に描き出す未来も、
それが「本物」であれば、収まる処に収まる。。。
『しあわせの詩』の二つのバージョンは、
まったく同じ物語で、この違いを表現している。
ぜひとも、二つのバージョンを経験してほしいと思う。
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