『東京の交通100年博』 @ 江戸東京博物館
残すところ、もう、あと一週間の期間を残すのみとなったが、
両国の『江戸東京博物館』で素敵な展覧会が催されてる。
題して『東京の交通100年博』だ、、、なんと、交通好きにはたまらない!
ただ、写真を撮れる場所が少ないのが残念だなぁ。。。
屋外に写真撮り放題の場所があって、都電が置いてあった。
この都電は、6000形の6068号車で、30年前まで荒川線を走っていたそうだ。
向こう側に見えるのは、
映画『ALWAYS三丁目の夕日』で使われたセットらしい。
だから、車窓からはこんな感じ。
我らがベア達、とうとう昭和に現るといったところだ。
「三ノ輪」の反対側は、「早稲田」行きなのね。
この「都電」という仕組みが、
都内で最初に用意された自走公共交通機関らしいのだけど、
(つまり、それまでは馬車だった・・・)
その初期に活躍したのが、これ。
再現模型だけどね。
新橋から、品川の「八ツ山下」を結んで走り始めたらしい。
こうして、やがて関東大震災を挟んで、
都電が縦横無尽に東京を走るようになったけど、
いつしか、自動車が道路に溢れると、都電は邪魔になり、
バスや地下鉄へと変わっていったのは、みかん星人も知っている。
そのすべてが集まっていたのが、ここ渋谷だ。
ま、そんなことが分かる、やっぱり楽しい展示会だったなぁ。
さて、ついでなので、常設展にも入ってみた。
まずは、日本橋を渡って、、、
なぜか左手に「中村座」を眺めて、、、
大当たりの看板が良いよね。。。
駕籠にも乗ってみたりする。
そう、150年前ぐらいは、これも移動手段、交通だった。
でも、江戸時代は、基本的に「歩く」事が移動手段。
ここ「両国橋」でも、多くの人が歩いて行き来していた。
この、当時世界でもっとも人口が集中し、にぎわっていた江戸は、
文化程度もとても高くて、庶民はこうした「文学」をも読んでいた。
これは、曲亭馬琴の名作『南総里見八犬伝』たちだ。
出版されたのは文化11年:1814年から天保13年:1842年の間で、
これが、ほぼ、作者のライフワークになってしまったとのことだ。
文学も楽しんだ江戸後期には、医術もかなり進歩していたようだ。
けっして、未来から脳外科医が時空を超えてやってこなくても、
これだけの、見るからに精密な医療器具が開発されている。
あまりの精度に、マンカス君は尻込みしてしまった。。。
そんなマンカス君が元気を取り戻したのが・・・
そう明治時代のここ、、、『鹿鳴館』だ。
この『江戸東京博物館』には、
ジオラマがデモンストレーションをしてくれる仕組みがあって、
アクリルボードの床の下にしつらえられた『鹿鳴館』では、
時間が来ると、あの「舞踏会」がひらかれる。
屋根がスライドして、いよいよ舞踏会の様子が見えると・・・
なんと、、、
あの舞台と同じ「久雄さんが駆け降りる」階段が確認できる!
こうして、いつの間にか明治時代に来てしまったけれど、
考えるまでもなく、江戸時代と明治時代は、現実に連続する時間だ。
それは、昭和から平成に変わった時よりは劇的だったかもしれないけど、
庶民にとってのその変化は、昨日からの連続に過ぎなかっただろう。
ただ、いつの間にか新しい技術が街中にあふれてきて、
こういったものが突然現れたり、
「通り」が歩行者のための場所ではなくなり、
馬車や電車、そして、自転車なるものが大手を振って通るようになった。
もちろん、こんな自転車乗りがいたなら、どんな時代でも驚くだろうが。。。
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