まさかの『アイーダ』
まさか、もう一度、海の『アイーダ』を観に行くとは思わなかった。
まさか、この期に及んで、新しいアイーダが登場するとも思ってなかった。
そして、、、
まさか、田中部長のゾーザーが、あんなにも怖いとは想像していなかった。
さて・・・
もちろん、性懲りもなく海劇場へ行ってしまったのは、
江畑アイーダが登場したからだ。
そして、この新しいアイーダは、かなり魅力的だった。
評判通りの流麗なセリフは、トーンの切り替えもうまくて心地よい。
さらに、感情が充分に乗っている歌唱も揺るぎなくて心地よい。
ただ、まだ物語の流れに慣れていないからか、
動きというか、視線というか、が、どことなく「所在なさげ」に見えるのだけれど、
それがまた「奴隷にされた愚か者」の風情があって面白い。
みかん星人は初見だった鈴木ほのかアムネリスも、面白かった。
いや、セリフの部分だけを取り出したら、
今までのどのアムネリスよりも「アムネリス」そのものだったと思う。
さすがは、別の場所で育っただけのことはあるなぁ(笑)
劇団四季に無い、欠けている、失った「情」が、ほのかアムネリスには、ある。
それにしても・・・田中さんには、おどろかされたなぁ。。。
おかげで、
ちょっと不思議な感覚、ちょっとしたパニックを感じてしまった(笑)
『夢から醒めた夢』の部長で拝見していた田中廣臣さん、
彼のゾーザーがピラミッドを立て始めた時のことだ。
「これじゃ、まるで、ミュージカルじゃないか・・・」
と、思い、そして次の瞬間、
「ああ、、、そっか、この『アイーダ』って、ミュージカル・プレイなんだ」
と、思ってしまったのだ。
もちろん、『アイーダ』はディズニー・ミュージカルの1本で、
それはそれは良くできた物語と、恰好いい音楽で構成された作品だ。
しかしながら、その瞬間まで、私の中で『アイーダ』という作品は、
それこそ『夢から醒めた夢』といった「典型的なミュージカル」とは別物の、
「音楽の多いストレート・プレイ」のような作品だと思ってた気がする。
あるいは、オペラの『アイーダ』を何本か観たおかげで、
「すべてが音楽で綴られたオペラ」の様だとも思っていたのかもしれない。
しかし、、、田中廣臣さんのゾーザーを観ていると、
それは、間違いなく、劇団四季が得意な「ミュージカル」の舞台になっていたし、
それは、私が何回も観てきた『アイーダ』とは、違う匂いの舞台になっていた。
それは、良い・悪いではなく、まさに不思議な感覚だった。
よく考えてみれば、アムネリスのファッションショーだって、
「まさにミュージカル・プレイ」な場面なのだけれど、
いままで違和感はなかったから、ほんとうに不思議だった。
舞台というのは、ほんとうに、いろんな要素で千変万化するんだなぁ。。。
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