『父が子に語る近現代史』 by 小島 毅
- 小島毅
- トランスビュー
- 1260円
そして、下の記事に書いた『父が子に語る日本史』の続編。
著者いわく「図に乗って書いた」続編という事なので、
『父が子に語る日本史』はよく売れたのだろう。
ただ、それはたぶん言い訳で、
最初からこの続編は予定していたと思う。
というのも、この本に込めたメッセージの方が、
前作に在った「歴史を俯瞰する普遍的な考察・視線」より、
著者自身が伝えたい思いが絞り込まれ、加重されていると感じるからだ。
むしろ前作は、この「近現代史」を語るためだったとすら思える。
前作では『古事記』『日本書紀』に始まって、
日本という国が、今日の地理的状況とほぼ重なった江戸時代までで、
「本当の歴史を見抜く力をつけよう」という提言から、
資料を照らし合わせ、想像力を働かせ、
「過去に本当に起きた事、考えていた事、望んでいた事」
を読み解くことの大切さがテーマだったと思う。
後編の本書は、江戸時代に新しく生まれた「意識」に始まり、
やがて第二次世界大戦で敗戦して、その「意識」がどう変化し、
あるいは、変化しなかったのか、が書かれている。
ここでは、多くの資料を複合的に読み取る事で、
「歴史をさまざまな角度から多元的に読み取る」事がテーマだ。
例えば、
東京九段の『靖国神社』に祭られている「英霊」を取り上げて、
「『英霊』となった人物、なれなかった人物」の違いを考える事を通じて、
「日本のため」とはどういう意味なのか?を考えたりする。
つまり、歴史というのは、それを読み解く立場によって、
全く逆の解釈が成立するのを意識すべきだということだ。
また、特に注目すべきなのは、
「昭和の戦争にいたった責任は、ふつうの人たちにこそある」
と言い切っている部分だろう。
昭和の戦争はともかくも、
みかん星人が大人になってからの歴史を眺め考えると、
メディアの存在も大きいが、
本当の意味で歴史を動かしているのは「ふつうの人たち」だと思う。
例えば、
昨年の政権交替から今日へ至る政治への関心を考えても、
懐かしい「バブル生成と崩壊」の日々を思い出しても、
ドイツでのベルリンの壁が崩壊した経緯を調べてみても、
「誰がそれを支持していたのか?」を考えれば、
それはやはり、当然ながら、「ふつうの人たち」が求めた結果なのだ。
この本が面白いのは、
こうして「歴史」を多元的に眺め、考え、読み解いてみると、
「歴史」は「物語」である、という結論に達している事だ。
ミュージカル『エビータ』が一人の女性の物語として成立しているように、
「歴史」は、ひとりひとりの思いと、願いと、判断で作られている。
そして、だからこそ、「ふつうの人」である自分が、
責任をもって未来を考え、判断し、決断し、行動することが大切で、
それが「歴史」となるという、結論に達していて、
この辺り、まさに「父が子に語る」のタイトルどおりで微笑ましい
前作でも感じたことだけれど、
既に初老となって、それなりに多くの事を見聞きした者からすれば、
この本に書いてある事や考察は、それほど目新しいものではない。
ただ、この経験や見解を、若い人に伝えるのはなかなか難しいし機会も無い。
そういう意味において、この2冊は、実によく出来ている気がする。
またしても「気がする」と書いたのは、
これまた自分の経験からして、先人が書いたこの手の本の意味を、
次代の人が、若い時期に理解するのは難しいのも事実だからだ(笑)
つまるところ、こうして「歴史は繰返す」事になるのかもしれない。
それでも、この本を手に取って、書かれた事柄の何かに興味を持って、
自分なりに調べて深く読み解いてくれる可能性を信じてみたい
とりあえず、
この本が、一人でも多くの若人が手にしてくれる事を期待しよう。
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