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2010年2月14日 (日)

『父が子に語る近現代史』 by 小島 毅


父が子に語る近現代史

  • 小島毅
  • トランスビュー
  • 1260円

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書評

そして、下の記事に書いた『父が子に語る日本史』の続編。
著者いわく「図に乗って書いた」続編という事なので、
『父が子に語る日本史』はよく売れたのだろう。

ただ、それはたぶん言い訳で、
最初からこの続編は予定していたと思う。
というのも、この本に込めたメッセージの方が、
前作に在った「歴史を俯瞰する普遍的な考察・視線」より、
著者自身が伝えたい思いが絞り込まれ、加重されていると感じるからだ。
むしろ前作は、この「近現代史」を語るためだったとすら思える。

前作では『古事記』『日本書紀』に始まって、
日本という国が、今日の地理的状況とほぼ重なった江戸時代までで、
「本当の歴史を見抜く力をつけよう」という提言から、
資料を照らし合わせ、想像力を働かせ、
「過去に本当に起きた事、考えていた事、望んでいた事」
を読み解くことの大切さがテーマだったと思う。

後編の本書は、江戸時代に新しく生まれた「意識」に始まり、
やがて第二次世界大戦で敗戦して、その「意識」がどう変化し、
あるいは、変化しなかったのか、が書かれている。
ここでは、多くの資料を複合的に読み取る事で、
「歴史をさまざまな角度から多元的に読み取る」事がテーマだ。

例えば、
東京九段の『靖国神社』に祭られている「英霊」を取り上げて、
「『英霊』となった人物、なれなかった人物」の違いを考える事を通じて、
「日本のため」とはどういう意味なのか?を考えたりする。
つまり、歴史というのは、それを読み解く立場によって、
全く逆の解釈が成立するのを意識すべきだということだ。

また、特に注目すべきなのは、
「昭和の戦争にいたった責任は、ふつうの人たちにこそある」
と言い切っている部分だろう。

昭和の戦争はともかくも、
みかん星人が大人になってからの歴史を眺め考えると、
メディアの存在も大きいが、
本当の意味で歴史を動かしているのは「ふつうの人たち」だと思う。
例えば、
昨年の政権交替から今日へ至る政治への関心を考えても、
懐かしい「バブル生成と崩壊」の日々を思い出しても、
ドイツでのベルリンの壁が崩壊した経緯を調べてみても、
「誰がそれを支持していたのか?」を考えれば、
それはやはり、当然ながら、「ふつうの人たち」が求めた結果なのだ。

この本が面白いのは、
こうして「歴史」を多元的に眺め、考え、読み解いてみると、
「歴史」は「物語」である、という結論に達している事だ。
ミュージカル『エビータ』が一人の女性の物語として成立しているように、
「歴史」は、ひとりひとりの思いと、願いと、判断で作られている。

そして、だからこそ、「ふつうの人」である自分が、
責任をもって未来を考え、判断し、決断し、行動することが大切で、
それが「歴史」となるという、結論に達していて、
この辺り、まさに「父が子に語る」のタイトルどおりで微笑ましいconfident

前作でも感じたことだけれど、
既に初老となって、それなりに多くの事を見聞きした者からすれば、
この本に書いてある事や考察は、それほど目新しいものではない。
ただ、この経験や見解を、若い人に伝えるのはなかなか難しいし機会も無い。
そういう意味において、この2冊は、実によく出来ている気がする。
またしても「気がする」と書いたのは、
これまた自分の経験からして、先人が書いたこの手の本の意味を、
次代の人が、若い時期に理解するのは難しいのも事実だからだ(笑)

つまるところ、こうして「歴史は繰返す」事になるのかもしれない。
それでも、この本を手に取って、書かれた事柄の何かに興味を持って、
自分なりに調べて深く読み解いてくれる可能性を信じてみたいdelicious

とりあえず、
この本が、一人でも多くの若人が手にしてくれる事を期待しよう。

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