『BALLAD 名もなき恋のうた』
うっほほーい!
すっごく期待して、お城の見学までした映画『BALLAD』を観てきたぞー!!
もちろん、期待通りの、すっごく好い映画だったぞー!!!
実は、少し前から、この映画の宣伝に、
「戦国版タイタニック」という文言が出てきて、嫌な予感を持ったりした。
(数ヶ月前には、公開自体を危ぶむこともあったっけね(爆))
けど、見終わってみると、その宣伝は、
「相変わらず作品を理解して無い宣伝部の仕業」で、杞憂だった。
(そも、映画『タイタニック』は恋愛映画ではなく、時代の転換を描いた映画だ)
「映画宣伝」への文句・不満ついでに言うと、
この映画に描かれているのは【悲恋】ではない。
みかん星人に言わせれば、
ここで描かれる関係は、羨むべき、至福の、むしろ【理想の戀】とすら言える。
ともかく、2時間12分(実質125分)もある映画なれど、
心地よく、爽快に、なにより満ち足りた気分で見終える事のできる1本だぞ。
以下、内容に踏み込みまするぅ。。。
最初に、少々気になった部分、、、それは「言葉」の事。
『BALLAD』の舞台は「天正二年」で、翌年に「長篠の戦い」がある頃。
この時代の男性一人称が「おれ」というのは、本当なのだろうか?
まあ「それがし」とか「せっしゃ」とかって言われても、ピンと来ないか(笑)
宣伝に多用されている大事な場面で使われる「自由」という言葉も、
ちょっと違和感がある。
これはアニメ版には無い映画オリジナルのシークエンスなんだけど、
当時の「自由」という言葉には「身勝手」というニュアンスがあったらしい。
もっとも「自由」という言葉が今日持っている価値観そのものが、
戦国時代には考えられないものだった。
だけど、そもそもこの辺りが、この物語が持っている最も魅力的な部分、
つまり「違う時代の価値観に触れる事で今を見直す」ことの肝なので、
もっと当時らしい言葉で「自由」を表現して欲しかったところ。
そう、この物語の魅力は、時を越えて違う価値観に触れる事で、
自分を無意識に縛っていた「あたりまえ」を見直す部分にある。
そして、それは未来を知った戦国時代の人だけではなく、
過去を知った川上家(野原家)にも起きる覚醒だ。
この部分に関しては、この『BALLAD』はよく描かれていたと思う。
特に大きいのは、真一の父・暁が過去に持ち込む写真の効果だ。
富士フィルム社の6×7カメラにインスタント用カートリッジを装着したのだと思うが、
それに、ご丁寧に白黒フィルム(プロの試し撮り用として常備)で撮影する。
この場面が『BALLAD』で最も胸に迫る場面だった。
(その写真は、エンドクレジットでも登場していたほどだからネ)
こうして「記録」という側面を通じて天正二年の武士は「自分」に出会う事になる。
戦乱の中、死が日常で「如何に死ぬか」が人生最大のテーマである彼らが、
「生きていた証」の価値に気がついてゆく。
もちろん、携帯電話の使い方も良かったけれど、
自分の写真を胸に出陣した又兵衛の姿に、とても感動した。
また同時に、撮影した暁も、写真に「自分」が記録される喜びに触れて、
自分が何を求めて生きてきたのかを再認識する。
実に良くできた、実写ならではの場面だった。
また、これはアニメ版にもあるのだけれど、
自動車に乗った廉姫を又兵衛が馬で追う様子も良かった。
たぶん、アニメ版を最初に観た時にもここ最初に泣いたと思うが(笑)
『BALLAD』では、実写ゆえにそのスピードの違いがとてもリアルで、
離れてゆく二人の間隔に、なんとも言えない気持ちになった。
そうそう、この中盤の場面では、もう一つ感動してしまうエピソードがある。
二人の野伏に関するエピソードだ。
彼らは、実はアニメ版では最後にとても大切な役目があって、
そのための伏線だったりもするのだけれど、
『BALLAD』では、もっぱら又兵衛の人柄を表現するためだけに登場していた。
それでも、やっぱり、彼らと又兵衛のあのセリフのやり取りは、上手い。
あと、その彦蔵と儀助を演じた役者も上手かったなぁ。
特に彦蔵の「波岡一喜」くんは顔も良いし声も良い、、、素敵だ。
その波岡くんをはじめ、『BALLAD』に登場した俳優は健闘していたと思う。
「もっと大きくて無骨な男」というイメージを持っていた又兵衛だけど、
草なぎ君によって「優しい男」という側面が綺麗に描かれていたと思う。
クライマックスの殺陣はもう少し体力が欲しい感じがしたが、
野伏との対峙では実に心地よく薙倒していた。
ただ、やはりアニメの【声】が持っていた魅力が無いのは残念。
又兵衛をアテていたのは「屋良有作」氏で、
まるちゃんの父親とは思えない素晴らしい声で又兵衛を演じていた。
アニメ版の魅力の一つだといえるだろうが、これはまあ実写では仕方ない。
新垣さんの廉姫は、これも思った以上に良く、まさに「凛」という言葉が似合う。
廉姫の乳母を演じた香川さんも、父上(殿様)を演じた中村紋次郎も良い。
特に、虚しさを感じて思うように生きようとする殿の言葉は、
まるで『RENT』のメッセージのように響いた。
観終わって、大きな満足を得られたし、
オリジナルが持っている魅力をかなり上手く織り込んだ上に、
新しい魅力を付け加えていたと思う。それは、
「本当に、あんな『つわものども』が、この国の、この土地に存在していたのだ」
という感覚だ。
カレーライスやビールを美味いと感じ、自分が写った写真に何かを感じる。
もちろん、そんな事はフィクションだけれど、
けれど、たった500年前のこの土地で、
彼等もまた懸命に未来のために生きていたんだというのは、
確かに「元気」を与えてくれたと思う。
最後に、ひとつだけ、やはり残念に思うこと。
それは「金打:きんちょう」の場面が無かった事だ。
男同士の場合は武器、女性なら鏡といった金属を打ち合わせての固い誓は、
私はこのアニメの原作で始めて知った儀式だった。
けれど、残念な事に、『BALLAD』では、この場面は出てこない。
パンフレットの中のインタビューで監督がこの事を語っているのだけど、
(ちなみに、この映画のパンフレットは、このインタビューも含めて買いです!)
もう少し長い映画になっても良いから、入れて欲しかった。
そもそも、又兵衛としんのすけが金打をする事になったのは、
又兵衛の廉姫への気持ちがバレてしまったからだったわけで、
けっして「又兵衛と廉姫の恋愛物語」を打ち消す事にはならなかったと思う。
それに、真一が脇差を欲しがる理由も、
最後に又兵衛が形見として渡す理由も、あの金打の場面があってこそなのだ。
あれさえあったら、本当に完璧だったなぁ。。。
追:この映画、『ROBOT』が創ったのねぇ。。。
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コメント
記事のなかのひとつひとつにうなづきながら読んでしまいました。
金打のシーンがなかったのはほんとに惜しい。
あれがなかったので、脇差は欲しがらないのだろうと思っていたくらいでしたから。
投稿: きし | 2009年9月24日 (木) 午後 11時34分