『グラン・トリノ』
4月25日から公開される『グラン・トリノ』を観てきた。
相変わらず、映画に関する情報はリンク先の公式ページにて。。。
冒頭に出る「WB」のマークが白黒なのが、渋い。
で、その渋みが映画全体を包むのかと思っていると、そうでも無い。
イーストウッドが、彼自ら言うところの「俳優として最後の役」として選んだのは、
朝鮮戦争従軍体験の影を引き摺ったやたら頑固な爺さんで、
これがなかなかユーモラスなのだ。
タイトルが意味するのは、フォード社のスペシャリティーカーで、
主人公・ウォルトコワルスキーが大切にしている車のこと。
(「コワルスキー」はポーランド系のファミリーネームらしい)
つまり、コワルスキーは、
「朝鮮戦争」と「フォード」というアメリカの二つの側面をもっているわけだ。
そして、『ミリオンダラー・ベイビー』でも重要な鍵だったカトリックという側面も。
相変わらず、イーストウッド監督の「物語り」は上手いと思う。
観客の感情や意識に無理を強いず、
ひたすら丁寧にカットを重ねて、物語を綴ってゆく。
一つ一つのシーンが、過不足無く情報をくれるので、
余計な事を考えずに観ていれば、自ずと、終着点に連れて行ってくれる。
それにしても。。。。以下、すごく踏み込みます。
結末は、「そうなるだろう」としか思えないのに、
大変に強烈で、呼吸を忘れてしまうほどだった。
この映画は、みかん星人が好きな二つの作品の匂いを持っていて、
「結末はそうなるだろう」という予感は、この作品たちから感じたものだ。
ひとつは、アメリカのハードボイルド小説の一つの傑作『初秋』。
これは、探偵が、少年を「男」に育て上げるという毛色の変った小説で、
しかしながら、何度読み返しても痺れるような感動が残る一冊。
映画『グラン・トリノ』の後半は、まさにこの『初秋』の雰囲気がある。
もう一つは、黒澤明監督の『生きる』だ。
イーストウッド監督は大の黒澤映画ファンなので、まさにそのオマージュだろう。
頑固なコワルスキーに変化が訪れるのが「誕生日」なのが、面白い。
(さすがに女学生の合唱は無いけれど・・・)
この映画で最も素晴らしいのは、カメラの画角だと思う。
人物のクロースアップの場面が少なく、
また、たまに使われるクロースアップにはちゃんと意味が明確なのだ。
ハンディー・カメラの下品な揺れも無いし、ともかく画が美しい。
(ただし、今日の試写会場<ヤクルトホールのスクリーンは歪んでいてダメだ(笑))
この映画の、ちょっと変った「見所」は、カトリックの司祭に関してだろう。
27歳の、神学校を出たての若い司祭が、頑固なコワルスキーと執拗に交流する。
まるで、コワルスキーの中の「とある部分」の分身の様にも感じ取れる。
大変に不思議で、濃密な印象を残す司祭だ。
ともあれ、心に深く残る、後からジワジワと効いて来る、
面白くて、そして、おそろしく重い映画だ。
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