『キング・コーン』
「トウモロコシ」を取り巻く環境は、なかなかややこしい。
まず「バイオマスエタノール」の問題の中心的な存在であること。
この、実は化石燃料を消費して生産される「バイオ燃料」のおかげで、
トウモロコシの価格が高騰したり、
食用に適さない品種の生産が増加するということが起きている、らしい。
その燃料を生産したあとの「搾りカス」の使われ方にも関心がある。
どうやら「大豆」よりも割安という事で、家畜の飼料にされているらしい。
また、
作付面積当たりの収穫量を増やすために「遺伝子組換え」がされていたり、
大量の化学肥料が使用されているという問題も聞く。
そもそも、こうして大量に生産されたトウモロコシの行方も謎だ。
なにしろ、日本が輸入してる「穀物」の64%がトウモロコシで、
もちろんそれはアメリカで生産されたものなのだ。
映画『キング・コーン』は、
こういう問題がどう絡み合っているのかが見えてくる、
上質でユニークなドキュメンタリー映画だ。
ただ、この映画が撮影されたのは2004年から05年にかけてで、
トウモロコシの価格が高騰する前のこと。
(アメリカがエネルギー政策を転換するのが2005年)
映画は、イアンとカートという大学を卒業したばかりの二人の青年が、
自分達の体がトウモロコシからできている事を知り、驚くところから始まる。
そして、「1エーカー」の土地を借りて自分達でトウモロコシを栽培し、
収穫したトウモロコシがどの様に消費されるのかを調べる事にした。
さて、そこで、彼らが経験したものとは。。。
日本の米作は、いまも「減反政策」が続いているけれど、
アメリカでも70年代までは、トウモロコシの生産が制限されていた。
ところが、ニクソン政権下でそれは一転し、
「農家を裕福にし、やがて豊食の時代を」という謳い文句で、
政府が助成金を創設し、トウモロコシの生産を増大させてきた。
イアンとカートが、まず経験するのは、この助成金だ。
彼らは、この助成金が無ければ生産しても赤字になってしまう事、
そして、大規模であればあるほど、多くの助成金を得られることを知る。
同時に、
大規模なトウモロコシ生産が、実はそれほどの労力を要さないことも、知る。
「1エーカー」というのは、人が一日で耕作できる面積が由来なのだけれど、
なんと、たった18分でその面積に種を撒いてしまうのが、今の農業なのだ。
しかも、彼らがそこで収穫する量は、半世紀前の4倍ちかくになる。
助成金とバイオテクノロジーのお陰で、毎年大量に生産されるトウモロコシ。
このトウモロコシがやがて様々な食品などに加工される事を二人は知る。
「放牧で牧草を食べて育つ」のではなく、
囲われてトウモロコシを食べさせられて、150日前後で「出荷」される牛肉。
不思議な工程で製造される、砂糖の数倍の甘味をもつ「コーン・シロップ」など。
これらは、安価な食品の生産を可能にしてくれた。
100円でハンバーガーが食べられて、
もう少し支払えば、過剰に甘い飲み物と、コーン油で揚げられたポテトが食べられる。
人類が史上初めて経験する「食べ物が余っている時代」の背景は、
もはや人類の生命の上に君臨している「トウモロコシ王」あってのことなのだ。
冒頭に書いたように、トウモロコシに関する問題は、断片的に見聞する。
この映画は、それらの断片を上手にまとめ上げてあって、
改めて真剣に考えるべき問題だと気付く。
100円のハンバーガーはほとんど食べないけれど、
それを常食にしているひとにとって、この映画は怖いものだろう。
なにしろ、自分の体がトウモロコシでできているのを知らされるのだから。
もちろん、安価な食品が豊富にある世界は、目指していた未来かもしれない。
けれど、いまのこの状況は、安全を問う以前に、
「余剰品の消費」を原点にしているところが情けない。
さらに、先進国でこうして安価な食品が大量に作られてしまうと、
公正な競争が成立しなくなるし、「フェアトレード」の問題も絡んでくる。
「過ぎたるは、なお及ばざるがごとし」を見事に描き出したこの映画、
食品に関心がある人は、必見だろう。
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