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2008年11月24日 (月)

今日の、キャッツ、、、特定できません。

本当は、
「今日の、佐渡寧子さん」とか「寺田真実ちゃん」とか、
なにより注目の「武藤 寛くん」とかでタイトルを決めたかったのだけど、
どれも、抜きん出ていた、というわけでも、失敗した、というわけでもないし、
なにより、全体として大変見事にまとまっていたので、
タイトルに取り上げ難かった次第。

そもそも、もっとも注目していた「武藤タガー」は、
もう、その演技があまりにも堂に入っていて、お見事。
当初から「揺ぎ無い」という評価を散見していましたが、
改めてこうして直接観てみると、もうまさに「武藤タガー」が完成している。
特に素晴らしいのが、最後のメモリーでの彼。
武藤タガーは、「ラム・タム・タガーとは、かくあるべし」という姿勢が見事。

その、ある意味で相方のグリザベラ。
佐渡さんの抑制の効いた発声で届けられる『メモリー』は、
「なるほど、そういう解釈もあるのか」と、驚かされる歌唱。
それは「穢れの無いグリザベラ」といったところか。。。
「娼婦」と呼び捨てられるゆえに、そういう視線でしか見てなかったけれど、
佐渡グリザベラには、なにかもっと深い、ある意味では「空恐ろしい」、
ある種の「自己否定」を感じてしまう。
いや、それも積極的な「否定」ではなくて、
「自己を肯定する」という経験をしないままに老成してしまった感じ。

そもそも、
このミュージカルには「ジェリクル・キャッツ」しか登場しないハズのに、
そこに、蔑まれる『グリザベラ』というキャラクターが配されているのが不思議。
その不思議に、佐渡グリザベラは、
「資質はあるのに、自己を肯定し、表現し、伝える」
という経験をしてこなかった猫として捕らえている、と受け取れた。
そう、まるで、深窓の令嬢がデビューする機会の無いままに老成したような、
そんな感じ。
第一、「娼婦」と呼ばれる所以は、過去の事実とは限らないわけで、
「娼婦のような」というニュアンスをどう捕らえるか、がポイントなのだと思う。

また、再び出現した「野中マンカス」は、
相変わらすの「宴会部長」的なスタンスで、まるで芋洗坂な風情なのだけれど、
彼が、二度目にクリザベラを制する辺りの芝居には、
実に深いメッセージが潜んでいる気がした。

さて、みかん星人大注目の「寺田ガス」だけれど、、、これまた、、、

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