『ブーリン家の姉妹』
チューダー朝のハイライトを描いた映画としては、
『わが命つきるとも』とか『1000日のアン』(これは観てない)という名作があって、
特に『わが命つきるとも』は素晴らしい映画なのだけれど。
この『ブーリン家の姉妹』は、その映画のちょうど裏側。
当時の、いろいろな「背景」を知って観た方が断然面白い。
少なくとも「イギリス国教会」に関する知識ぐらいは身につけて観るべきだろう。
映画のパンフレットに書いてあって驚くのだけれど、
登場する姉妹の「姉」と「妹」は、本当は、逆なのだそうだ。
つまり「1000日のアン」は妹なんだねぇ。
衣装やセットに力を入れた映画なのは良くわかるけれど、
やはり「アップ」の多い映画で、全体を眺められる場面が少ないのが残念。
それと、ずーっと不思議に感じていたのだけれど、
この映画は「カメラ」と「その対象人物」の間に「なにか」が存在する画が多い。
例えば、王がブーリン家に到着した場面。
王がブーリン家の者達と親しく会話しているその画は、
王が引き連れてきた兵士たち越しの映像で捕えられていて、
それこそ「アン」を映している画では、アンが手前の兵士の影に隠れてしまったりする。
また、室内での撮影では、
部屋の中に設えられている「格子」とか、掛かっている「カーテン」、
そして当時の技法で作られた、向こう側が歪んで見えるガラス越しの画が多用されて、
カメラと人物が素直に相対する場面は、かなり少ない。
そのかなり少ない場面の中で、更に「陽光」を浴びている場面が印象的。
それは姉妹が楽しげに語り合って歩く場面なのだけれど、
これらの総てには、当然、演出意図があるわけで、解き明かせれば楽しいかもしれない。
こういった「紗」が掛かったような演出の中で、
役者達の演技は、どれも皆素晴らしいものだった。
特に、我が愛しのナタリーポートマンは、人を狂わせるお姫さまパワー満開で、
ヘンリー8世を見事にダークサイドに導いていたし、
ラストの演技は、あれは本当に身の毛もよだつ凄さだった。
また『ロスト・イン・トランスレーション』で魅了してくれたスカーレットヨハンソンは、
時に「本当は、すっごい事を企んでるんじゃないの?」と、
アンが彼女を見て感じた不安そのものを、見る者に理解させる演技をしている。
絢爛な衣装と豪華な背景、確かな演技で綴られた、
16世紀の、イギリスをすっかり変えてしまった物語は、
けれど「結局、男ってバカだなぁ」と思い知らせてくれる、
とても普遍的な、ちょっと小ぢんまりした映画にまとまってしまった気がした。
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