『アイアンマン』
今年は「アメリカン・コミックス」の映画化作品が多いのかな?と思ったら、
「今年」というわけではなくて、「ここ5年ほど」多いらしい。
で、この『アイアンマン』も「アメコミ」映画化作品のひとつ。
1996年にはアニメが日本でも放送されていたらしいけれど、
みかん星人は、この『アイアンマン』を知りませんでした。
(『ロケッティア』かと思ったりして(笑))
あまり「アメコミ」を知らない私でも、
「アメコミ」には、いわゆる「ヒーローもの」というジャンルがあって、
その「ヒーロー」には、『スパイダーマン』ゃ『ハルク』のように、
「人間の肉体が変身してしまう」というタイプのものと、
『バットマン』や、この『アイアンマン』のように、
「人間が、何らかの武装によってヒーローになる」ものがある、のは分かる。
前者の「テーマ」には、
「普通の人間では無くなってしまったヒーローの苦悩」という側面があって、
後者の「テーマ」には、
「そうまでして戦わねばならない苦悩」とか、
「エスカレートする暴力」といったものがあって、『ダークナイト』はまさにこれ。
この『アイアンマン』もまた、「戦う」という事に比重のある映画だけれど、
そもそも、この主人公が「武器商人」であるという設定が巧妙。
「武器は平和をもたらさない」ことを経験した主人公は、
その「責任」として「更なる抑止力」の如き『アイアンマン』を考える。
が、しかし、それとて、つまりは・・・・
(ちゃんと「原子爆弾」の話が、アメリカ映画らしい価値観で登場もする)
『アイアンマン』で感心したのは2点。
ひとつは、「デザイン」の面白さ。
そもそも「デザイン」ってのは「設計」のことなんだけれど、
突き詰められ、煮詰められた「デザイン」には、
ちゃんと「理由」があるという事が面白く、
しかも、ちゃんと伏線として機能しているところが素晴らしい。
まあ、あの見た目を「素晴らしい」と思うかどうかは別にしても、
しっかりと「デザイン」されたものの魅力が生きていた。
もうひとつは、はい、「美人秘書」の素晴らしさですかね(爆)
『恋におちたシェイクスピア』や『プルーフ・オブ・マイ・ライフ』で、
才気煥発な印象のある、みかん星人も嫌いじゃない、
グウィネスパルトローが演じる秘書が、これが、良い。
自分を愛するのが下手そうに見える「薄い上唇」や、
意志の強さ、意思決定の強固さを感じさせる立派な顎の線、
なによりスリムなシルエットに長い脚、、完璧です。
あー、私も一人、こういう秘書にいてもらいたい。
(実際に必要性のある仕事なんだけど、雇うお金が無い)
ま、、、実際選ぶとなると、これまた難しそうだしなぁ(爆)
ともかく、
この『アイアンマン』には、必ず続編ができます。
それと分かる場面が、エンドクレジットの後にありますので、
最後まで観てくださいね。
そして、続編を観たいのなら、この『アイアンマン』で予習しておきましょう(笑)
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