『ジョン エヴァレット ミレイ展』 @ Bunkamuraザ・ミュージアム
イギリスの絶頂期は「ヴィクトリア朝1837年~1901年」だと言われている。
産業革命のお陰て「経済」が発達し、万国博覧会が開かれ、地下鉄が走り、
そして、我がヒーロー・シャーロックホームズが活躍した時代。
ヴィクトリア時代の「盛り」とも言うべき頃に、
「ラファエル前派」という芸術活動グループが登場した。
「神が創造した自然をありのまま細密に描く」というテーマを持って、
中世の文学や宗教的な題材を取り上げ、伝統に縛られない芸術を目指した。
その最も重要な画家が、John Everett Millais(ジョン エヴァレット ミレイ)。
彼の代表作80点が、いま、渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムに来ている。
そして、我が愛しの『Ophelia オフィーリア』も、やって来た。
いや「愛しい」というのは、少し微妙かもしれない。
なにしろ、「オフィーリア」は『ハムレット』に登場する悲劇の乙女。
戯曲にはその「悲劇」の場面、つまり川に落ちてしまう場面の描写は無い。
(だから、舞台でも、彼女が亡くなる場面はなく、伝聞で伝えられる)
それがむしろ、多くの画家のインスピレーションを刺激し、描かれてきた。
(それほどまでに、男心をくすぐるのかな?)
その数ある彼女を描いた作品の中でも、最高傑作との誉れが高く、
また後世に与えた影響の強さ・大きさでも群を抜いているのが、
今回来日(笑)した、ミレイの『オフィーリア(1851-52)』なのだ。
実は、2001年に「明和電機社員旅行」でロンドに行ったときに、
なにをさておいても観たかったのが、この彼女だった。
けれど、海外旅行中という事で観られず(笑)、とても残念な思いをしていた。
なので、先週の土曜から始まったこの展覧会、
「万一の中止」という事を懸念して(嘘)珍しく早々に行ってしまったのだ。
この『オフィーリア』は、ミレイの作品としては初期に属するもので、
展覧会でも二つ目の部屋で早くもご対面となった。
「意外と小さい」のが第一印象。
「四角じゃないんだ」というのが続く印象(笑)
そして、本物を観て一番驚いたのが、
「この画を観るには、かなり距離が必要だ」という事だった。
この展覧会で、その後なん度も経験するのだけれど、
ミレイの絵画は、特別なものを覗いて、鑑賞距離が遠いと感じた。
とりわけこのページに出ている『北西航路』などは、
会場の中央に設置されている休憩用のベンチが邪魔になるほど離れて、
そしてようやく「画の中に入る」という感覚を得られる。
細密なのを特徴としていると言われる時代の画なのに、面白い経験だ。
『オフィーリア』も、おそらく2mほど離れての鑑賞がベストだろう。
さて、その鑑賞距離に関して「特別なもの」が数点あった。
それは、彼自身の子どもをモデルにしている作品達だ。
先ほどのページで言うと『姉妹』が特にそうだし、
(この『姉妹』の絵は、絶対に右下がりに掛けられていると思った)
「ファンシー・ピクチャー」(可愛い子どもの様子を描いた画の総称)の、
『初めての説教』などは、かなり近寄っての鑑賞が心地よい。
もちろん『オフィーリア』には感動したし、何度も何度も眺めていたけれど、
みかん星人が動けなくなる程に魅了された作品は、個人所蔵の、
『ああ、かようにも甘く、長く楽しい夢は、無残に破られるべきもの』
という、実に意味深なタイトルがついている女性の絵だった。
まるで、そう、タイトルの通り「はっ」と長い夢(悪夢)から目覚めたような、
急に「智慧」が蘇ったような、なんとも言えない美しい瞬間が描かれている。
ミレイが描く女性の表情は、上に挙げた「智慧の目覚めの瞬間」に限らず、
もちろん『オフィーリア』の複雑で心乱される表情も含めて、
ともかく繊細で精緻だと感じた。
(なるほど、漱石が心酔するわけだ・・・)
初期の作品で、2号という小さい絵ながらも、
恋文を開く乙女のトキメキを感じさせる『スミレの伝言(1854)』などは、
顔を伏して「目」が描かれていないにも関わらず、
彼から受取った恋文と、同封された「スミレ」がもたらした彼女の表情が、
ありありと感じられる素晴らしい小品だと思った。
(この2号サイズの画ですら、鑑賞距離は少々遠い!)
ともかく、ひとつの時代を象徴する絵画の大集合。
ぜひともごらんあれ。
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