『崖の上のポニョ』
「はじまり」で始まり「おしまい」で終わる。
「ああ、いつもの、宮崎監督らしい映画なんだなぁ」と感じる。
いちお「公式ページ」があるので、もろもろはそちらで。
(チラチラ煩いのでHTMLページにリンク)
5歳の時の思い出は、意外と多い。
できたての幼稚園に「年長さん(ゆき組)」として入園して、
周囲の子どもが、あまりにも「こども」で驚いたものだった。
さらに驚いた事に、その同じ組の子ども達が、一年のうちにもの凄く成長した(笑)
出会った頃にはぴーぴー言ってた奴が、
卒園の頃には、女の子と「次のガッコ」の事を話していて苦笑したのを憶えてる。
いや、その「女の子たち」が、次第に共同戦線を張り始めて、恐くもなっていた。
(『魔法使いサリー』を見てないと遊んでくれなかったよなぁ。。。)
そう、で、そんな頃、「世の中」の人達は、誰もがみな顔見知りで、
『サンダーバード』は(夢野サリーより魅力的な)実在の組織で、
大人が話す事が世界のニュースで、真実で、決まりごとで、未来だった。
あの頃、嬉しかったのは、新しい何かに出会うことと、大人の関心を集めること。
・・・そんな頃のみかん星人に、この映画は、どう見えただろうか?
以下、この映画を観てない人は、立ち入り禁止。
それから40年以上も経ったみかん星人にとって、
この映画は、特にその前半は、イメージの充溢・横溢だった。
『ファンタジア』を初めて観た時にも感じけれど、
あの作品よりも、もっと「個人的」な、
あたかも宮崎監督の頭の中を覗いているような映像が、楽しかった。
現実では在り得ない「水の動き」が、
デフォルメされた車の挙動に潜む微妙なリアリティー(加速度等)を背景に、
或いは降りしきる雨の線の素直(凡庸)なイメージの中で、
いっそうの「在り得なさ」や「ばかばかしさ」を伴って押し寄せてくる。
その大波の威圧感が、同時に響き渡る久石氏の音楽が、
【常識】が頭の隅で「洪水の裏側に存在している悲劇」を囁くのを無視させて、
ただもう「もっと行け!」と心の中で叫ばせてくれる。
(いや、実際に口にしていた気がする(爆))
なので、あとはもう、適度に収束してくれれば良いと思った(笑)
「緑のバケツ」という小道具も上手く機能していたし、
マッドサイエンティスト然としたフジモトの存在もユニークで良かった。
(上の記事的に言うと、
フジモト:野沢那智、グランマンマーレ:池田昌子、で観たかったなぁ)
いや、実は、観音さまが出てきた辺りで、
「これは、監督には珍しく、母性の映画なのか?」とも思ったけれど、
あの状況で子どもを残して職場に向かう女性を描く辺りで(笑)
「あはは。。。やっぱりね」なんて思ったりして。
(宮崎映画での母性は「疑いなく厳然と存在する背景」ね)
そういう意味で、大人、【常識】からみたこの映画は、
どこもかしこも「?」だらけなんだけれど、、、ね。
さて。。。
5歳のみかん星人にこの映画をみせていたら。。。
彼はきっとこう言っただろう。
「そうだよ、だいじょうぶだよ、ぼくにまかせてよ!」
と、、、
そう、この映画は、そういう(それだけの)映画だと思う。
(だから、この映画には『手のひら絵本』の雰囲気がある)
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コメント
みかん星人さん、こんばんわ。
またもややって来ました(笑)
最後の一言がシビれたもんで・・・
そう、
そーすけの、「そういうところ」が本当に素敵で泣きました(笑)
投稿: るい | 2008年7月27日 (日) 午後 09時38分
るいさん、コメントありがとう。
この映画の肝は、
宗介くんが車の中で言う、あの気持、ですね。
るいさんの記事も楽しみにしていますよ。
投稿: みかん星人 | 2008年7月28日 (月) 午前 09時57分