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2008年7月23日 (水)

『崖の上のポニョ』

「はじまり」で始まり「おしまい」で終わる。
「ああ、いつもの、宮崎監督らしい映画なんだなぁ」と感じる。

いちお「公式ページ」があるので、もろもろはそちらで。
 (チラチラ煩いのでHTMLページにリンク)

5歳の時の思い出は、意外と多い。
できたての幼稚園に「年長さん(ゆき組)」として入園して、
周囲の子どもが、あまりにも「こども」で驚いたものだった。
さらに驚いた事に、その同じ組の子ども達が、一年のうちにもの凄く成長した(笑)
出会った頃にはぴーぴー言ってた奴が、
卒園の頃には、女の子と「次のガッコ」の事を話していて苦笑したのを憶えてる。
いや、その「女の子たち」が、次第に共同戦線を張り始めて、恐くもなっていた。
 (『魔法使いサリー』を見てないと遊んでくれなかったよなぁ。。。)

そう、で、そんな頃、「世の中」の人達は、誰もがみな顔見知りで、
『サンダーバード』は(夢野サリーより魅力的な)実在の組織で、
大人が話す事が世界のニュースで、真実で、決まりごとで、未来だった。
あの頃、嬉しかったのは、新しい何かに出会うことと、大人の関心を集めること。
・・・そんな頃のみかん星人に、この映画は、どう見えただろうか?

以下、この映画を観てない人は、立ち入り禁止。

それから40年以上も経ったみかん星人にとって、
この映画は、特にその前半は、イメージの充溢・横溢だった。
『ファンタジア』を初めて観た時にも感じけれど、
あの作品よりも、もっと「個人的」な、
あたかも宮崎監督の頭の中を覗いているような映像が、楽しかった。

現実では在り得ない「水の動き」が、
デフォルメされた車の挙動に潜む微妙なリアリティー(加速度等)を背景に、
或いは降りしきる雨の線の素直(凡庸)なイメージの中で、
いっそうの「在り得なさ」や「ばかばかしさ」を伴って押し寄せてくる。
その大波の威圧感が、同時に響き渡る久石氏の音楽が、
【常識】が頭の隅で「洪水の裏側に存在している悲劇」を囁くのを無視させて、
ただもう「もっと行け!」と心の中で叫ばせてくれる。
 (いや、実際に口にしていた気がする(爆))

なので、あとはもう、適度に収束してくれれば良いと思った(笑)
「緑のバケツ」という小道具も上手く機能していたし、
マッドサイエンティスト然としたフジモトの存在もユニークで良かった。
 (上の記事的に言うと、
  フジモト:野沢那智、グランマンマーレ:池田昌子、で観たかったなぁ)

いや、実は、観音さまが出てきた辺りで、
「これは、監督には珍しく、母性の映画なのか?」とも思ったけれど、
あの状況で子どもを残して職場に向かう女性を描く辺りで(笑)
「あはは。。。やっぱりね」なんて思ったりして。
 (宮崎映画での母性は「疑いなく厳然と存在する背景」ね)
そういう意味で、大人、【常識】からみたこの映画は、
どこもかしこも「?」だらけなんだけれど、、、ね。

さて。。。
5歳のみかん星人にこの映画をみせていたら。。。
彼はきっとこう言っただろう。

「そうだよ、だいじょうぶだよ、ぼくにまかせてよ!」

と、、、
そう、この映画は、そういう(それだけの)映画だと思う。
 (だから、この映画には『手のひら絵本』の雰囲気がある)

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コメント

みかん星人さん、こんばんわ。
またもややって来ました(笑)

最後の一言がシビれたもんで・・・smile
そう、
そーすけの、「そういうところ」が本当に素敵で泣きました(笑)

投稿: るい | 2008年7月27日 (日) 午後 09時38分

るいさん、コメントありがとう。

この映画の肝は、
宗介くんが車の中で言う、あの気持、ですね。

るいさんの記事も楽しみにしていますよ。

投稿: みかん星人 | 2008年7月28日 (月) 午前 09時57分

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