『正義の裁き』 by フェイ ケラーマン
フェイ ケラーマンという女性小説家による警察小説で、
主人公夫妻の名前から「リナ&デッカー・シリーズ」と呼ばれている。
みかん星人は、このシリーズを知りませんでしたので、
この本が「リナ&デッカー・シリーズ」の入り口になった。
『正義の裁き』という邦題は、しかし、平凡気味で記憶に残りにくい気がする。
シリーズ一作目が『水の戒律』、以下『聖と俗と』、『豊饒の地』、『贖いの日』、
『堕ちた預言者』、『赦されざる罪』、『逃れの町』と続く。
どのタイトルにも宗教の響きが潜んでいて、
そしてこの「リナ&デッカー・シリーズ」はそういう背景のあるシリーズだとの事。
しかし、
改めて眺めても、『正義の裁き』というタイトルに宗教的なニュアンスを感じない。
実際に読んでも、「正統派ユダヤ教」の背景は登場する単語にしか見出せない。
この『正義の裁き』には、宗教に限らないコミュニティー間の軋轢と、
(熟するシリーズものによく見られる)「若さ」の意義と悲しさ、
そして「信義」という規範に関することが書かれていたと感じた。
シリーズの他の作品を読んでいないのが残念だけれど、
この作品ではあまり活躍場面がないヒロイン・リナの位置が実に素敵だ。
おそらく、リナは、著者自身の反映なのだろうけれど、
この作品に登場する「若さ」に振り回される学生達や、
「男」故の虚栄、猜疑、焦燥に振り回されて自分を信じられない男達の中で、
リナだけが、自分が触れて確信したことを信じて揺るがない。
そして、それが少しも不自然ではなく、物語の背骨となって機能する。
「若さ」というのは、とても素敵なことだけど、とても恐ろしい季節でもある。
近視眼的に物事を判断し、確信と妄信は紙一重。
ホルモンが理性を狂わせて、後悔と焦燥と挫折の日々を繰り返す。
(そう言えば、三島由紀夫の『鹿鳴館』にもこんな事が書かれていたっけ)
この小説に描かれていたのは、
そんな「若さ」の苦悩に対して適度に折り合いをつけて、
大人になろうとする、或いは大人になった「男」達にとっての【正義】と、
苦悩の中に僅かな確信を掴んで成長する女性。
事件の謎解きや真相は、こういったテーマの背景になっていた。
原題は『JUSTICE』。
そう言えば、『Lady JUSTICE』という正義の女神がいる。
彼女は「剣」と「天秤」を持ち、法の厳しさと公平を司っているけど、
「目隠し」をして先入観に左右されないことも表している。
おそらく、この原題『JUSTICE』という言葉は、
アメリカ人の心にこの女神を起草させると思う。
この物語の中に出てくる「先入観」という悪魔は、実に狡猾で、
そういう意味では、この原題、実に上手いと思う。
それにしても、
「正統派ユダヤ教」に「カトリック」、そして「ギリシャ・ローマ神話」と、
たかが警察小説を読むのにも、異国の文化を堪能するのは大変だ(笑)
でも、それが楽しみなんだけどね。
このシリーズ、最初から読んでみたくなった。
- フェイケラーマン
- 東京創元社
- 1029円
【書評リンク】
空飛ぶさかな文芸部 by Bongoさん
Lovelycats ver.books by matikaさん
風の谷のナオスケ by さくらぼんさん
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント