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2008年6月20日 (金)

『幻詩狩り』 by 川又千秋


幻詩狩り

  • 川又千秋
  • 東京創元社
  • 861円

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書評

『日本SF大賞』を受けたこの小説を読んで感じたのは
「今日の【SF小説】という括りは、まったく理解できない」という事。

子どもの頃に読んだ【SF小説】というのは、
例えば『時をかける少女』だったり『夏への扉』だったり『ボッコちゃん』で、
どれも狭義の【SF小説】(つまり「空想科学小説」)というよりも、
「センス・オブ・ワンダー」を感じさせてくれたり、
「少し不思議(Sukoshi Fushigi)」な気分をくれる、柔らかいSFだったが、
ともかくも、
【科学の進歩が人間に与える影響(若しくは影響されない人間の性)】
や、
【不思議(突発的)な出来事に人間がどう対処するか】
 (まあ「人間」というよりは「知的生命体」と言った方が普遍的かな?)
を描くジャンルという認識でその後も多くの【SF小説】を読んできたつもりだった。

ところが、この『幻詩狩り』は、
私の【SF小説】に対する認識と微妙に、いやかなり、ズレている。
そもそも【SF小説】であるにしては少々設定・説明が杜撰に思える。
しかしながら、これが『日本SF大賞』を受賞したという現実。。。これぞSFか(笑)

以下、久しぶりにもの凄い「幻覚」を書いております。
この本に関心の無い方は、こちらの書評をごらんくださいませ。。。

1948年。
戦後のパリで、シュルレアリスムの巨星アンドレ・ブルトンが再会を約した、
名もない若き天才。
彼の創りだす詩は麻薬にも似て、
人間を異界に導く途方も無い力をそなえていた。
この世には、けっして読んではならない詩が存在するのだ・・・・・。
時を経て、その詩が昭和末期の日本で翻訳された。
そして、それを読む者たちは、ひとりまたひとりと詩に冒されていく。
言葉のもつ魔力を描いて読者を翻弄する、川又千秋ならではの言語SFの粋。

扉の紹介文を引用たが、物語の骨子はこういう感じ。

残念なことに「言語SF」という分野を知らないのだけれど、
想像するに「シャンポリオンの偉業」みたいなのを「言語SF」という気がするし、
それこそ映画『未知との遭遇』の音楽交信なんかも「言語SF」かと思う。
ともかく、この小説が「言語SF」で、「言葉のもつ魔力」をテーマにした物語であり、
その「詩」を読んだ者を「異界に導く不思議」を描いた【SF小説】だとして、
では、その「詩」の不思議な力は、
書かれたオリジナル言語・フランス語以外で鑑賞しても起きることなのか?
という疑問が、ずーっと頭を離れず、最後まで物語に入れなかった。
けれど、しかし、ともかく、
この「麻薬のような詩」は日本語に翻訳されてもその「魔性」を失わず、
翻訳した本人はともかく、翻訳を読んだ多くの日本人を魅了し、
やがて「禁書所有(記憶)の罪」で狩られることになる。

やはり、実に、不思議だ。
翻訳された詩歌が、なおもそんな力を持ち続ける事は可能だろうか?
例えば、松尾芭蕉の名句を「Donald Keene」氏がこのように英訳している。

 The ancient pond A frog leaps in The sound of water.


蛙が飛び込む小気味良い「水の音」に焦点を合わせる感覚を掴んで、
さすがに素晴らしい翻訳だと思う。
けれど、果たして「古池」という単語が持つ湿度を感じてもらえるのか?は、
それこそ「英語が分からない」から感じられないけれど(笑)
果たして、この翻訳俳句は、
英米人の頭の中に【ぽっちやっ】という音を響かせられるのかしら?(笑)
 (もちろん「翻訳文学」なら可能だろうが、これは「翻訳詩歌」なのだ)

余談だけれど、実は、これと似た「コメディー」があった。
みかん星人が「こんな野郎」になった原因である空飛ぶモンティ・パイソンの、
栄えある第一回に放送された『恐怖の殺人ジョーク(1969)』が、それ。
第二次世界大戦最中のイギリスで、
スクリブラーというギャグ作家(笑)が世界最強のジョークを発明してしまう。
それは、読んだ者、聞いた者を笑い死にさせてしまう恐ろしいギャグだった。
イギリス陸軍はそれを注意深く一語ずつドイツ語に翻訳して実戦に投入して、
ドイツ兵を笑い死にさせてしまう計画。
そしてドイツ語に訳されたギャグを叫ぶイギリス軍は圧倒的な優位を確保する。

・・・という、実にバカバカしいコント。
「なぜこのコントが可笑しいのか」を解説しても仕方ないが(笑)
「イギリスのユーモアはドイツのものより優れている」という、
イギリス人独特の感覚がポイントではあるものの、
「ギャグを翻訳してもそんなに面白く翻訳できるはずが無い」
という部分も「可笑しさ」の一部。
その証拠に、このコントのオチは、
「ドイツが考えた必殺ギャグは、英訳されたけれど、全く笑えない」
というものなのだから。

小説の設定や運びに「?」はつきものだと思う。
いわゆる【SF小説】で何もかもが完全なものは珍しいだろう。
それに、例えば、
「ドラえもんが取り出す道具の動力源が理解できない」
なんて言ってしまう批評はつまらないと思うし、
「演劇集団キャラメルボックスのSF芝居は穴だらけで観てられない」
ことがあの舞台を否定する要因にならないとも思う。
だがしかし、この『幻詩狩り』でのこの翻訳の謎は違う。
「フランスで生まれた詩が30年の時を経て日本でも人を惑わす」
ことの不思議を描くなら、
翻訳を越えて残る詩の魔力を「SF」として描いて欲しい。
 (そもシュルレアリズムには「自動筆記」という手法もあるのだから、
  こういう部分を上手に使えば魅力ある翻訳方法だって書けるはず)

そう、更に言えば、
この『幻詩狩り』はシュルレアリスムを取り上げているのに、
すこしも「シュルレアリスム」を感じさせてくれないのが残念。
「シュルレアリスムの御大」を困らせる事をモチーフにしたらしいが、
だったらもっと「シュルレアリスム的」ななにか、写真とか、を取りこんで、
それでいながらの【SF小説】にする気概を感じさせて欲しいものだ。

さて、、この本を読み終えたのは昨年の夏だった。
 (栞代わりのキャスト表はJCSのジャポ版のだったりする)
なぜこの本の書評にこれほど時間がかかったのか?と言うと、
内容が酷似した書評(しかも遥かに上質の)が書かれてしまったのあるが(笑)
なによりも、冒頭に書いた部分、つまり、
「なぜこの小説が『日本SF大賞』を受けたのか」
という事が理解できなかったから。
もちろん、こうして書いている今も、微塵も理解できないけど(笑)
「いまのSF小説はこういうものなんだ」
と考えるのが妥当なのかなぁ。。。
そして、時代は変わり、【SF小説】は【ファンタジー】と同義になったのだと。

そう、この本が【SF小説】でなく、ネバーランドのお話ならね、、、、(笑)

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コメント

「幻詩狩り」がSF大賞を受賞したのは1984年。
いまから四半世紀も前なわけなんですが。

それなのに、「 今 日 の【SF小説】という括りは、まったく理解できない」「 時 代 は 変 わ り 、【SF小説】は【ファンタジー】と同義になった」なんて、言われてもねえ……

投稿: | 2010年6月 7日 (月) 午後 01時42分

へぇ、、、そんなに昔の事なのかぁ。

それを、四半世紀後に出す文庫の帯に、宣伝として使われてもねぇ・・・(大笑)

投稿: みかん星人 | 2010年6月 7日 (月) 午後 11時27分

かなり以前に一度読んだきりなので、具体的な内容はほぼ忘れましたが、作中、当の「幻詩」とやらが日本語で「部分引用」されている箇所を読んだ瞬間、そのチープさに呆れると同時に、「あ、こりゃダメだ」と思いました。

こういう設定で書くなら、絶対に「実物」を示しちゃダメなんですけどね。

投稿: avril | 2010年6月10日 (木) 午後 09時57分

>へぇ、、、そんなに昔の事なのかぁ。

ケータイもeメールも出てこないのに違和感を覚えなかったの?

投稿: | 2010年6月12日 (土) 午前 10時15分

avrilさん、コメントありがとうございます。

SFモノに限らない事ですが、例えば「タイムマシン」の時間を飛越する仕組みなんて、おおまかに「さらっ」と書いてくれた方が面白かったりしますね。
ある種の「マクガフィン」でしょうか(笑)

投稿: みかん星人 | 2010年6月13日 (日) 午前 10時58分

この幻詩みたいなのに説得力を持たせた話なら、山本弘さんの『メデューサの呪文』という話がありますよ。

投稿: | 2015年7月 9日 (木) 午後 06時50分

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