『ハムレット』 @ 自由劇場
と、いうわけで、年賀状の公開は終わりました。
たくさんのご来訪、ありがとうございました。
さて、、、元日に観た『ハムレット』のお話です。。。
何度か『ハムレット』を観たけれど、初めて「ハムレットの年齢」を考えてしまった。
ネットで調べてみると、戯曲『ハムレット』での年齢設定は明確ではないらしい。
今まで、たとえば劇団四季の石丸ハムレットだったりすれば、それは、
「中堅実力二枚目俳優が若さを表現する晴れ舞台」
ていうイメージで観ていた気がする。
ハムレットという役には「年齢」という要素はなく、
ただその「立場・位置」だけに関心を持って観ていた。
しかし、此度の田邊ハムレットは、違う。
母の不義に苦悩し、
オフィーリアとの関係に「狂気」を持ち込むその心情が、
まさに「そうとしかできない未熟さ」というリアリティーを伴って描かれる。
(下村ハムレットには「女性嫌悪」の匂いがしたし、
石丸ハムレットには「気高過ぎる理想家の盲信」という匂いがした)
今回の配役は、若干名を除いて、まさに「作品主義」そのもの。
役者か役を忠実に演ずるほどに舞台から役者が消え、役が際立つ。
それは、人格をもった役者によって描かれるのではなく、
むしろ人形劇の様相。。。に感じた。
「役者」として、その個性だけでなく、経歴までをも楽しめたのは、
【墓堀り1】の明戸信吾さんと、前半の【ホレイショー】味方隆司の両氏。
そして、総てにおいて「異様」であったのが、オフィーリア・・・・
演劇論を書く気は無いが、
このオフィーリアこそ「記号」に徹すべき役どころだと思うのだが。。。
この部分だけは、芝居が「作品主義」から逸脱して、
歪んだ「スターシステム」を感じた。。。ああ、幻覚に違いない。。。
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