『ジーザス・クライスト=スーパースター』 @ 秋劇場
と、いうわけで、多忙の中、高木マリア様を拝見しに行ってしまいました。
(言い訳するわけではありませんが、求めれば道は拓く訳でして、
この日はちゃんと18時の大手町に用事があっての上京でした・・・のよ)
なるほど、こういうマリアもありうるのかな?という感じです。
「マグダラのマリア」の地位は1969年から見直しが始まったそうですが、
このJCSが書かれた頃なので、その気配は入っているのかもしれませんけれど、
やはりユダとの関係をみれば「罪深い女」として描かれていると思うのですが。。。
どうも、高木マリアには「罪」を感じられないのが、妙です。
ただ、彼女や花代マリアを観ていて、改めて日本語の歌詞を考えると、
「 男も 女も 愛したことなどないの 」
という歌詞(オリジナルとはニュアンスがかなり異なる)の意味が、
例えば金志賢さんの演じたマリアとは違うものに聞こえてくるのです。
で、、、「これも、ありなのかな?」と思ったりした次第でした。
そうそう、マリアの歌では『私はイエスがわからない』が目立ちますが、
高木マリアの場合は、後半の『やり直すことはできないのですか』のほうが、
彼女の声の深さに似合っている気がします。
それに、ここで一緒に歌うペテロの飯田洋輔さんがとても上手くて、良いですね。
そう、今回のキャストでは、ペテロの飯田くんがなかなか素晴らしいです。
「知るもんか!」の台詞も四季らしい響きがあり、期待したいところです。
ですが、やはり何かひとつ物足りない感じがします。
この日は、柳瀬ジーザスの声が美しく、最初から全開の感がありました。
村ピラトも、ローマの威信を充分に感じさせつつ、『ピラトの夢』での繊細さが圧巻。
前回は小さく見えた下村ヘロデ王は二周りほど大きく感じさせる名芝居。
そして、金森ユダの情念溢れるパフォーマンスは実に見事。
(特にゴンドラからジーザスを眺める演技の小賢しいこと!!)
「『ヘロデ王』と『スーパースター』だけを観るためにもう一度」
と思わせてくれる舞台でした。。。。
が、、、、
「『ヘロデ王』と『スーパースター』だけを観るためにもう一度」
と、本気で思わせてしまってはダメなんですよ(笑)
これは、あくまでも冗談として言われるべき言葉なのですから。。。
だけど、いまのJCSは、本気で「ヘロデ」と「スーパースター」、
それに「ピラト」だけを観て帰ってしまっても、少しも惜しいと感じない、、、、
かもしれません(笑)
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