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2007年3月 3日 (土)

今日の、松島勇気くん、、、優美なのね。。。

今日の『コンタクト』は、マチネが貸切公演で、
ソワレには、なんと、松島くんが「ウェイター長」として登場しました。
お昼過ぎにそれに気がついた「福井狂(ばか)」さん、
松島くんって、私に優しいから、見に行ってあげたい
と、謎の理由を掲げて浜松町へ。
で、初物好きの私(爆)も、諸般の事情で1幕だけ見に行ってきました。

とりあえず、松島ウェイター長のこと。。。
本当に、彼は「バレエの先生」なんですねぇ、、、動きがとても優美。
吉元ウェイター長とは、同じ振り付けでも、全く違って見えました。
例えば「リフト」。。。。
吉元さんが「ともかく力で持ち上げる」スタイルだったののに比べて、
松島くんは「相手の勢いを利用して上げる」というスタイル。

吉元ウェイター長は、カリスマ的な魅力で女性を魅了し、
少々強引ながらも女性を酔わせてしまう。
その動きは「直線的」でメリハリがハッキリしている、まさに「男性的」なもの。

一方、
松島ウェイター長は、優しさと包容力で女性を魅了し、
女性の意思を尊重して彼女の魅力のすべてを引き出す。
その動きは「曲線」と「高さ」が特徴で、あえて言えば「女性的」。

この違い、、、いろんな側面で考えてみました。。。
吉元ウェイター長は「社交ダンス」松島ウェイター長は「バレエ」
吉元ウェイター長は「レストランのオーナー的な存在感・威圧感」
松島ウェイター長は「レストランの雇われ給仕長的な清潔感」
吉元ウェイター長は「関西人」松島ウェイター長は「関東人」(笑)
ともかく、ものすごく違うのですが、どちらも大変に魅力的なのです。

驚くべき事は、この二人のスタイルの違いが、
PART2全体に影響を及ぼしているように感じられることです。
と、言うよりも、松島ウェイター長の登場で、
PART2のメッセージが明確になったとすら言えるのです。
 (「新しい」存在の登場は、過去を変える by森博嗣)
今まで、「青いドレスの女」の救世主に見えていたウェイター長でしたが、
松島ウェイター長の登場と、「青いドレスの女」に及ぼした影響を見ていると、
「実は、吉元ウェイター長も、本質的には『夫』と変わらないのではないか?」
と感じさせてくれたのです。
確かに吉元ウェイター長は青いドレスの女に「うきうきする妄想」を与えてました。
が、それは、青いドレスの女が本当に求めていた「コンタクト」なのか、どうか?

松島ウェイター長が示した「優しさ」というか「エスコート」「支持」を見ていると、
吉元ウェイター長ですら、自己中心的で、強引で、ナルシストに見えてくるのです。
そして、改めて明らかになってくる、このPART2に込められたメッセージ、
つまり「夫婦と云うコンタクトの限界」が明確になってくるのです。

PART2は、1954年のニューヨークが舞台です。
それも、ブロードウェイがあるマンハッタンではなく、
川向こうの「クイーンズ」にあるイタリアン・レストラン。
しかもブッフェ・スタイルの『カフェ・ベスビオ』という、高級とはいえない店。
ここが、青いドレスの女=妻にとっては浮き足立つほどの贅沢な場所なのです。
ところで、妻はテレビが届いた事を話題にしていました。
1955年にアメリカのテレビ普及率は67%だったそうですから、
この家庭が、実は、それほど「お金持ち」ではないのがわかります。
余談ですが、妻は、テレビスターの「ミルトン バール」を知っていました。
友人か誰かの家で時々テレビを観ていたのかもしれないですね。

この日、夫からみても「似合う」青いドレスを妻は着ていましたので、
もしかしたら、何かの記念日、妻の誕生日?だったのかもしれません。
だとしたら、妻の誕生日にテレビを贈り、ディナーに出かける。。。
これは、夫としては、なかなか「良い方」なのかもしれません。
「俺がいない間、動くな、店員と話すな、笑うな」
という夫の言動も、妻の落ち着きの無さ故の言動なのかもしれません。

と、まあ、邪推はおいといて。。。。
この1954年がとんな時代なのかを調べてみましょう。
 (秋劇場の『コンタクト』解説パネルに1945年と誤記されてました(笑))
映画『バック・トゥー・ザ・フューチャー』で跳んで行くのが1955年ですし、
『カラー・オブ・ハート』という隠れた?名作も、
この50年代と現代とのギャップが面白い映画でした。
ジムキャリー主演の『マジェスティックは1951年という設定で、
戦争の影響を中心としたドラマが描かれていましたが、
1953年に朝鮮戦争が終わり、平和が戻り、兵士が戻ってきたアメリカで、
「人権」の問題が次第に大きくなっていた時代、それが1954年なのです。
この年には、
「人種の違いによる教育の不公平は違憲」とする最高裁の判決が出て、
これが起源となり「公民権運動」が起きます。
それまで、物言わぬ存在だった人々が、自分の意思で行動し始めた時代。
それは「夫」にとっての「妻」という存在にも当てはまりましょう。
「動くな、喋るな」と命令するのには、こんな背景もあるのです。

「人権」と似たようなニュアンスがあるのですが、
この50年代は「性」が表面に出てきた時代でもあるのです。
「グレース メタリアス」という人が書いた『ペイトン・プレイス物語』は、
1956年出版で、翌年『青春物語』という映画にもなりましたが、
この本が、地方都市での「中流生活」の裏側にある「性」を取り上げたのです。
それまで誰もが知っていたけれど表立って話題にする事の無かった「性」が、
人間にとってとても重要で、そして難しい問題である事が表面化したのです。

『コンタクト』のPART2での「妻」の妄想は、
それまで社会的に「当然・自然」と思われていた結婚の実態、
つまり、横暴で自己中心的な夫(とその母)に従うべき、という常識に対して、
不満や疑問を感じているという事のあらわれとも考えられるのです。

Contact_2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、
こうして「妻(女性)の自我の目覚め」という部分からPART2を観ると、
「ウェイター長」の女性に対する姿勢が重要になってきます。
そこには「妻」が望む男性像が反映されるわけですから。

実は、今回の「松島ウェイター長」が登場するまでは、
「ウェイター長」は、単純に「妻」を魅了する存在に過ぎないと思っていました。
ところが、女性へのアプローチが違う二人のウェイター長が現れてみると、
この差が「妻」の「自我」というか、「不満」の正体の違いとなって見えてくるのです。

吉元さんが見せる「ウェイター長」は、いうなれば【ラム・タム・タガー】で、
周囲・後先はお構いなしに「妻」を誘惑して自由へと誘うスタイル。
そんな彼を妄想する「妻」は「私を悦ばせて欲しい」という不満を持っていそう。
一方、
松島くんがみせる「ウェイター長」は、いうなれば【マンカストラップ】で、
大切なのは「貴女の心」だと言わんばかりの優しさで「妻」の夢を叶える。
そんな彼を妄想する「妻」は、きっと「私にはやりたい事がある」という自我がある。

ともかく、PART2を観るうえで大切なのは、
「この時代の女性は、妻や母と云う役割よりも、自分を大切にしたい」
と感じ始めていたのだ、という事を理解しておくことなのです。

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コメント

わあ、今すぐコンタクト見に行きたくなってしまいました!
わたしは2回の観劇で2回とも青いドレスにばかり目がいってしまったわけなのですが、見方をかえてみれば違う世界が待っているのですねえ。

松島ウエイター長のコンタクト、続きを楽しみにお待ちしてます!

うう、わたしも自分の目で楽しんできたいです!
もう手持ちチケットはないんですけど。。。ウズウズ。。。

投稿: とーふ | 2007年3月 4日 (日) 午後 07時20分

とーふさん、コメントありがとう。

チケット、劇場に行くといっぱい売ってます(笑)
いやもう、呆れるぐらい、いっぱい。
だって、この日のチケット、開場してから手に入れたのに、
11列の真ん中なんですよ!二人並びで!!
どーしてこんなに面白くて奥深い舞台を観ないのかなぁ(笑)


この3つのエピソードの中では、
PART2が最も奥深くて、楽しくて、悲壮ですね。大好きです。
登場人物の一人一人に「物語」を感じますしね。

まだ4週間もありますから、ぜひ!

投稿: みかん星人 | 2007年3月 5日 (月) 午前 12時24分

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