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2006年11月 3日 (金)

『父親たちの星条旗』

「英雄がいない時代は寂しい。
 しかし、英雄がいる時代は、もっと寂しい」

みかん星人が子どもの頃、こんな話をしてくれた校長がいた。
当時、その意味は解らなかった。
実は、最近まで本当の意味は解らなかった。
この『父親たちの星条旗』を観る迄は。

「旗を立てたぐらいで英雄か?」
映画の中のこんな言葉がとても重たい。
英雄は、めったな事で自然発生する存在ではなくて、
作為的に造られるものだったんだ。。。少なくとも、60年前は。

あの素晴らしいメッセージを残してくれた校長は、
太平洋戦争を20代で駆け抜けて、
「その事」を知って、伝えようとしてくれていたのだと、改めて感謝した。

そして、戦争は、
英雄を作り上げて煽っていた時代は、ついこのあいだの事なんだ。。。
いや違う、、、今も「そう」だから、イーストウッドはこの映画をつくったんだ。

この映画は凄い!
なにが凄いって、、、この映画を制作している途中で、
「日本側からの視線で、もう一本、制作しよう」
と思いついたということ、、これが凄い。
それは、別に「日本を描いたから」ということではなく、
「二つの価値観を俯瞰する力」に支えられて映画が制作されたって事なのだ。

似た姿勢で描かれた戦争映画には、古くは『眼下の敵』という傑作があるけど、
どちらかというとゲームの色彩が強い映画だった。
が、この『父親たちの星条旗』と『硫黄島からの手紙』は違う。
戦争と云う極限の中での「殺す相手」の思惟を強烈に感じたのが、
ほかならぬ制作者達だった、という事だろうし、
それを、戦場場面のあらゆるところで感じる。
映画全体を「もったいない事をした」という視線が貫いていと感じた。

イーストウッド監督と云えば、『ミリオンダラー・ベイビー』という傑作があった。
みかん星人は、これを2005年の6位としたけれど、
結局ブログに記事を書けないまま、、、筆力の無さが残念。
あの映画で心酔したイーストウッド監督の「観る者に考えさせる演出」は、
この『父親たちの星条旗』では更に際立っていた。

監督は、
「戦争映画で細々と説明しても解りゃしないさ」とばかりに、
前半、説明がほとんど無いままに物語の断片を展開する。
まるで、パズルの断片を、無言のまま手渡されて、
それを眺め、ピースに描かれている「何か」を記憶すると、
静かにそのピースは取り上げられて、どこかに仕舞われてしまう感じ。
1時間ほど、そんな事が繰り返される。。。
と、後半はそれをつなぐ情報が続々と提示される。
そして、観客は数分前の記憶の断片を持ち出して、
「あ、マイクって・・・」と、
「彼がイギーで、だからジョンは・・・」と、
「なんだ、ハンクこそが・・・」と、思い知らされてゆく。。。
いい奴は、死んだ奴だ」なんて言葉すら思い起こす。
誰かを印象付けるには、確かにそういう場面が強烈だと思った。

生きて、英雄にされてしまった3人のうちの一人が、
アメリカ先住民・ピマ族出身の海兵隊員だったというのが、歴史のいたずら。
環太平洋民族だからアルコールに弱いと云うこともあるけれど、
彼が崩壊して行く様は、本当に厳しい。
彼のエピソードだけをみたって、戦争がいかに虚しいか、伝わる。
 (だからと云って、戦争という外交手段は無くならないだろうが・・・)

さしあたり、『硫黄島からの手紙』にも期待したい。

そうだ、、、この映画「吹き替え版」があります。
でも、オリジナルでちゃんとした日本語が出てきますので、
できれば字幕でご覧になったほうが良いですよ。
「どっちも日本語を話している戦争映画」は、気持ち悪そうです。

もうひとつ。。。。原題は「旗」が複数になっている。。。上手いなぁ。

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