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2006年10月27日 (金)

吉村和敏 写真展 『林檎の里の物語』

プリンス・エドワード島の写真で著名な写真家、吉村和敏氏が、
同じくカナダの東部、プリンス・エドワード島の南西方向に位置する、
「林檎の里」と呼ばれるアナポリス・ヴァレーで撮った写真集、
『林檎の里の物語』を出版した。

そして、収録作品を大きな写真で見られる「写真展」が、
11月9日まで、新宿の「ペンタックスフォーラム」で開催されている。

初日の今日、さっそく観にいってきた。

プリンス・エドワード島に関する写真集でもそうだったけれど、
吉村氏の写真は、風景の美しさを伝えてくれるばかりでなく、
「そこに生きている人々の生活」を感じさせてくれて、
人間が、社会が、自然とどう関わるべきなのかを考えさせてくれる。
今回のアナポリス・ヴァレーの写真集では、
特にこの「生活」を伝える写真が多いように感じた。

写真集『林檎の里の物語』には、
ここに住む70歳以上の人、10人と、吉村氏のインタビューもある。
特に私が惹かれたのは、
結婚し、この地を離れて生活していたが、
夫を亡くし、子どもも独立したのを契機に、再びこの地に戻った女性。
このエピソードは、アンポリス・ヴァレーの魅力をとても的確に伝えていた。

どの写真にも美しい自然が捉えられているけれど、
ほとんどすべての作品に共通していたのは、
「人の手が、適度に関わって、より際立たされた自然の美」の描写だ。
多くの場合、「自然のまま」は、実はそれほど「美しい」ものではい。
「ありのままの自然」は人間や社会には厳しすぎる。
まず危険だし、面倒だし、効率的ではない。
かといって、過剰に手を加えてしまうと、損なってしまう。
その絶妙なバランスを、吉村氏の写真は的確に描き出していた。
本当の「美しさ」は、そこに適度な合理性を持ち込む事で際立つものだ。
 (例えば地形に沿ってつくられた道などが典型だろう)
吉村氏の写真集『林檎の里の物語』は、
人間社会が持つべき「節度」と言うようなものを写真で伝えてくれる、
本当の意味で「美しい」写真集になっていた。

それにしても、吉村氏の写真を観る度に、
「やられた」という嬉しさと、妙な悔しさを感じてしまう。

確かに美しい写真ばかりだし、
それがとても的確で正確な技術によって表現されているのは解る。
しかしながら、そこに写っている「景色」は、
私にとって、また、これを読んでいる貴方にとっても、
今まで一度も見たことが無い、奇跡のように美しい景色
ばかりでは無いのだ。
一年のうちに何度かは「すっごく綺麗な景色」に出会うし、
時にはそれを写真に撮るという経験もしている。
つまり、「吉村氏が見出した景色」も、
私たちが年に数回出会う「すっごく綺麗な景色」も、
景色そのものとしては、あまり差が無い気がする。

が、、、しかし、作品として完成した吉村氏の写真は、
そのどれもが、私が撮った写真なんかよりも、圧倒的に美しい。
もちろん、それを「プロ」と云うのだし、経験はもちろんのこと、
機材や技法においも、その差は歴然としているとは思う。
でも、
そんな差だけではない、もっと根本的な「違い」を何度も感じる。

私には表現できない、見出せない、感じられない何かを、
吉村氏はきっと掴んでいるのだろう。
その「何か」を写真の前で漠然と感じる瞬間の嬉しいこと。。。
そして、なんとも悔しいこと。。。

なぜだか自然に、
「がんばろうと思います」と、
唐突に吉村氏ご本人に言ってしまった、みかん星人でありました。

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