『元禄忠臣蔵・第一部』 @ 国立劇場
『国立劇場十月歌舞伎公演』に行ってきました。
国立劇場に入ったのも初めて、
4時間を超える芝居を観たのも、たぶん、初めて。
そして、、、大感激して参りました。
今年は大変です、、、バレエに続いて、歌舞伎にも染まりそう(爆)
それにしても、さすがは「国立」。
3階席とは云うモノの、
四季劇場・春のバルコニー程度の距離で<説明になってない
なんと1,500円で鑑賞できるのです。
プログラム800円と音声ガイド650円で、しめて約3,000円。。。
で、だから、若い人が観に来ているのかと思いきや、
男性客の中で、たぶん、私が最年少だったのでは?という感じ。
そりゃあそうだろうなぁ、、、、正午、12時開演のお芝居だもの、、、
「忠臣蔵」として有名なのは、
そもそもこの「忠臣蔵」という命名をした『仮名(假名)手本忠臣蔵』。
これは、例えば「浅野内匠頭」を「塩冶高貞」と呼んだりして、
かなり脚色(潤色)してあるのです。
が、今回上演された『元禄忠臣蔵』は、
昭和9年から16年に掛けて真山青果の手によって史実に沿って書かれ、
講談社の雑誌『キング』を中心に発表されたもの。
史実に基いていますので、想像でしか書けない場面は無く、
有名な「松の廊下」での【殿中でござる】という刃傷場面も、無い。
事件が起きて、周囲の人がそれを知って、取調が始まる所から始まります。
この比較的新しい狂言(新歌舞伎)『元禄忠臣蔵』が、総て「通し」で、
さらに時系列に沿って上演されるのは、今回が初めてだとか。
もちろん一日での上演は無理なので、10月から3ヶ月に渡る上演です。
中には戦後初めて上演される段もあったりするそうです。
なぜ、こんな「連続上演」を企画したか、、、という話が、なかなか面白い。
今は、物語の「点」を知っている人は多いが、
その「全体像」を知っている人は、意外と少ないのではないか?
という事から始まった企画ということなのです。
つまり、「討ち入り」は知っている、「堀部安兵衛」は知っている、
でも「どうして討ち入ったのか」とか「どんな経緯だったのか」は知られて無い。
だったら、全部を上演してみようじゃないか、、、、という事。
更に、今回の目玉の一つでもあるらしいのですが、
主役の大石内蔵助を、10月は中村吉右衛門さん、
11月は中村鴈治郎改め、坂田藤十郎さん、
そして12月は吉右衛門さんの兄上の松本幸四郎さんが演じるのです。
それぞれの個性が、赤穂での日々、放蕩の日々、討ち入りの日の、
それぞれの内蔵助とどうリンクするのか、、、も、楽しみなのだそうです。
さて、というわけで、今日は吉右衛門さんの内蔵助。。。立派でした。
いやもう、他の役者さんたちよりも、明らかに一回り大きい!
まるで、内蔵助だけが手前で演技しているかのような存在感。
もちろん、どの役者さんも素晴らしい芝居でしたが、、、
実は、歌舞伎の芝居というのは「過剰な表現」なのだと思い込んでいました。
ですから、例えば劇団四季の『鹿鳴館』で野村さんが表現するような、
「微妙な匙加減による感情表現」というのは、無いもの、と思っていました。
が・・・当たり前ですよねぇ、何百年と歴史のある芝居ですもの、
「耳かき一杯の塩」で泣かされるは泣かされるは、、、自分でも呆れるぐらい。
で、もちろんそれは吉右衛門さんの芝居だけではなくて、
どの役者さんであれ、「ここぞ!」という場面では、
指の一指し、爪先の動き、そしてほんの少しの視線の動きで泣かされる。
なんでしょう、この「心の在り様」が具体化するような演技の数々は。。。。
書かれた時代背景に「忠誠」とか「尊皇」というものを感じますが
ともかく「本」がとても面白く感動的で、演出が素晴らしい。
演出は、本を書いた真山青果氏の娘さんである故・真山美保氏のもの。
この演出が実にツボを押さえていて、見事に泣かせてくれる。
特に最後、赤穂城を立ち去る内蔵助と、
彼の竹馬の友ながら浪人となっている徳兵衛の場面では、
セットのダイナミックな動きと、
それによって生まれる大きな空間で描かれる永訣は、凄い。
いままで観た中でも、最も「劇的」な泣ける別れの場面だと思います。
すでに完売のこの10月公演。
来月の公演も残り僅か、、、12月のは、さあ大変な予感。
しかし、なんとしても全部を通して観たいものです。
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