『鹿鳴館』 @ 京都劇場・千穐楽
「秋の京都」という魅力もあったのだけれど、
なにを思ったのか『鹿鳴館』の千穐楽を観に行って来ました。
『鹿鳴館』は「自由劇場あっての演目」と思っていて、
それが千人クラスの劇場に掛かるとどう見えるのか?
という興味があったのも確かです。
で、結論から言うと・・・
「これぐらいの劇場の方が良い」と思ってしまった(笑)
「自由劇場」という500人程の濃密な空間だと、
どうしても「役者」に目が行ってしまうのかもしれませんね。
で、それが『コーラスライン』の様な演目では、
「役者」と「役柄」が見事にシンクロして、
「自由劇場」という空間ならではの魅力を生み出していましたから。
けれど、「役者」と「役柄」の差異が大きい場合。。。
例えば、時代背景の差異もあるし、
「伊藤博文を演じる」などという差異がある場合。。。
要するに、そこに「フィクション」の度合いが強くなるほど、
「自由劇場」の濃密な空間は、マイナスにも作用するのかもしれない。
実際、「京都劇場」で観た『鹿鳴館』は、
「野村玲子」という役者を感じることなく、
「影山朝子」という、なかなか狡猾な女が舞台に存在していた。
実は、「影山朝子」という役どころは、
他の演目や言動で知っている「野村玲子」という役者とは齟齬を感じる。
「野村さんだったら、あんなに策を弄したりしないのでは?」
と、「自由劇場」で『鹿鳴館』を見る度に感じていた(笑)
それは、福井久雄にも感じていたことだったり、
「軍人」達にも感じていた、なんだか気恥ずかしい「齟齬」だった。
でも、「京都劇場」の『鹿鳴館』に、その「齟齬」は無かった。
劇場のサイズって、なかなか面白い。。。と感じた次第。
さて、、、ともかく久しぶりに観た『鹿鳴館』。
改めて、語ってみようかと。。。
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コメント
とみさん、コメントありがとう。
やはり、あの装置、サイズが変わっていたのですか?
京都劇場なのにぴったり納まっていて、
「あれ、自由劇場と同じ大きさ?」
と、かなり不思議だったのです。
「隠れ場所」に余裕を感じたり、
菊が少しスカスカだったようには思いましたけど(笑)
熟練度という意味では、やはり田邊くんの変化が良かったですねぇ。
「もういい、もういいってば!」
が、なんかとっても可愛く感じました。
全体に、東京版ほどの暗さを感じなかったのも、
「これはメロドラマ。。。お芝居なのよ!」
という雰囲気があって、助かりました(笑)
投稿: みかん星人 | 2006年10月11日 (水) 午後 06時09分
>みかん☆人さま
やはりおいででしたか。天上高さはあるし,それとなく装置もバージョンアップしてますし,メンバーの習熟度あがってます。よかったですね。
投稿: とみ | 2006年10月10日 (火) 午後 10時11分