『中原の虹』 第一巻 浅田次郎
【中原に鹿を逐う】という言葉がある。
「中原」とは「天下」の事で、「鹿」とは「帝位」を指すそうで、
「鹿」の音が「(禄高などの)禄」に通じる事から、らしい。
「中原」とは、イメージとして、黄河の流域を指す、らしい。
閑話休題
この『中原の虹』は「中原」に「虹」を掛けようと夢見る男たちの物語。
ただ、誰もが「天下」をとろうとして行動するわけではなく、
(多くの戦乱物語がそうであるように)
「平安」を求めたり、「侵略」への抵抗としての「統一」を目指す。
その「時宜を得る」というタイミングの面白さ、
人が人と出会うめぐり合わせの面白さ、
この『中原の虹』には、そういう面白さが一杯。
そもそも、中国を舞台にした「英雄物語」には、
『三国志(演義)』『水滸伝』という傑作があり、
その国土の広さ、民族の交わり具合、摩訶不思議な伝承など、
面白い物語を紡ぐには最高の舞台ではある。
が、例えば『水滸伝』には108人もの英雄、
『三国志』には一説では千人近い登場人物かあるという。
つまり「膨大」なのが、正直、難儀だっり。。。
ところが、この『中原の虹』の登場人物は、実に簡潔。
「1」とされるこの巻では、せいぜい20人程度が登場するのみ。
この簡潔さが、なんとも心地よい。
それでいながら、
300年の時を隔てたドラマも織り込まれていて、スケールの雄大さも心地よい。
その雄大なスケールを貫くアイテムが「龍玉」という帝位をもたらす玉。
キリスト教の「聖杯伝説」にも似たこの「龍玉」に関わる話のなんと深遠なこと。。。
そして、この「龍玉」を探せと命ずる皇帝と、それを受け止める男の駆け引き。
「1」のクライマックスとも言うべきこの場面で、私は不覚にも泣いていた。
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