『寝ずの番』
いやはや、くだらない映画だ。。。。実にくだらない。
よく「テレビドラマの方がマシ」という貶し方があるけれど、
この映画がまさにそんな1本。
ただし、テレビでは放送できない言葉の大行進なので、
「映画でしか作れない」といったところだろう・・・・
この映画に対してのこういう観方は、或る意味で間違っていない。
細分化した「娯楽」の中で、
いまだにこんな映画を撮っている「邦画」は、
「だからダメなんだ」と、映画を観ない人には言われるかもしれない。
が、、、この『寝ずの番』は、まさに「至宝」の映画なのです。
映画はまず、
「脚本」が面白くなければ良い映画はできない。
(これはどこぞの御大もよく言う事)
次いで、
「演出」が上手くなければ面白い映画はできない。
が、
「脚本」が良くても「演出」が素晴らしくても、
「演技」が素晴らしくなければ、すべて台無し。
この『寝ずの番』は「中島らも」氏の原作を得て、
プライドを掛けた「マキノ雅彦」氏の演出により、
映画としての体裁を既に充分満たしているけれど、
更にこの映画を「至宝」と感じさせるのは、「演技」の凄さなのです。
登場人物のほとんどが「芸人」という役であることもあって、
少しばかりオーバーに感じる芝居が見事にハマっている。
特に一番弟子を演じた笹野高史さんは、
ミュージカル俳優としても有名なのに、見事に「落語家」だった。
彼の視線、間、総てがギリギリに「芸人」を作り出していた。
が、
最高に素晴らしい演技を見せてくれたのは、師匠・長門裕之。
そりゃあ今更ながらの「名優」ではあるものの、
この映画で見せてくれた「死人」の演技は、本当に凄かった。
落語『らくだ』の一節を再現しようとカンカン踊りをさせられる場面で、
長門さんが演じる「死人」は、支えられ振り回されながら、
実に見事に「踊る」、、、
間違いなく「笑える」場面だし、「不敬」であるのだけれど、
みかん星人はこの場面に、人間の強烈な願望を感じて、
そして少しだけ泣いてしまった。
長門裕之さんといえば、20年後の桑田佳祐なのだけれど(笑)
ちゃんと冒頭に「それ」と思い起こさせてくれる場面がある。
途中にも『チャコの海岸物語』が出てきたりと、
ちょっと嬉しい。
と、この辺りのマキノ監督の「くすぐり」は上手いのだけれど、
できるなら、もう少し「マキノ色」を感じられると良かったかなぁ・・・
あまりにもオーソドックスだった。
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