今日の、福井晶一くん。。。声が聞こえる。
4回目の(爆)サザンのライブから帰宅すると、
「福井狂(ばか)」様が浮かれたご様子。。。
どうやら『製作発表会出演予定俳優コメント』で、
お話しする福井くんを堪能していたらしい。
うーむ、けどこれって「読まされている」よね(笑)
少なくとも、彼の言葉になってない。
たとえば「日下さん」は堂々と原稿を読み上げながらも、
それは「日下武史」の言葉として伝わってくる凄みがある。
これが、ずっと前に書いた「存在感」とでも呼ぶべき力だと思うのだが・・・
劇団四季の団員さんを舞台以外の場所で拝見すると、
しばしば「幼い」と感じる、、、ちょっと危ういほどの「幼さ」を。
良く言えば「無垢」という事なのだろうし、
それが「役に染まる素地」として好いのかもしれない。
それにしても、今回のこの記者会見で拝見した若い二人は、
その緊張を理解してあげたとしても、余りにも「脆弱」に思う。
さて、これで「日下・影山」と対等に芝居できるのかなぁ・・・
ところで当たり前かもしれないが、
演出御大の記者会見でのお話も「存在感」がいっぱい。
総てが自分の言葉で、力に溢れ、夢を追い、決意を抱いている。
「戦後の日本」をこんな豊かな国にしたのは、
あの戦争で犠牲になった人々ではなく、
間違いなくこういう「力」を持った人たちだ。
さて、では、この人々が去ってしまったあと、この国はどうなるのだろう?
「綺麗事」が得意な中年は多いが、さて、それで上手く進むのだろうか?
さらに福井くん達の時代が来たとき、、、どーなるのか、楽しみだ(*^-^)
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コメント
真冬さん、コメントありがとう。
そうですね「完成したくない」というか、
「永遠に可能性を信じていたい」というか、
要するに「モラトリアム」が当たり前になっている気がします。
ろくな経験も積んでいないのに、
「私の中に潜む可能性を見失いたくない」
などと平然と言ってのける人を見ると、眩暈がします(笑)
ああ、、、汚れたくないのかなぁ、、、今の日本人って。
投稿: みかん星人 | 2005年12月 7日 (水) 午後 11時47分
若い前途ある役者さんお2人然り・・・・
私には日本人全体が未成熟なまま大人になっているように感じられます。
私が幼い頃に見上げていた『大人達』は、威風堂々とした文字通りの【大きな人】であった様に思います。
・・・などと、己の未熟さを鑑みながら、ほんの少し明日の日本を憂いてしまう、今宵の真冬でありました。
冬の夜長、良いお題を頂いて感謝いたします。
投稿: 真冬 | 2005年12月 7日 (水) 午後 08時59分