『桃次郎の冒険』 By 劇団四季
そもそも『桃太郎』とはどんな話?
よく言われるのが、
「桃を食べた爺婆は若返って、それで桃太郎がうまれた」
という、確かに江戸時代初期まではそんな物語だったらしい、って事。
更には、
「猿・雉・犬は干支の『申・酉・戌』でこれは西方浄土を意味し、
同時に『智恵と勇気と忠誠』を表している」
なんてのも、陰陽道なんかの本を読むと書いてある。
が、それにしても、どうして「鬼退治」に行く事になったの?
そして・・・退治されちゃう「鬼」って、なんだろう。。。
「ファミリー・ミュージカル」として、
劇団四季が1973年から上演している『桃次郎の冒険』は、
この「鬼ってどんな存在だ?」をテーマにした演目。。。だと思う。
みかん星人は、初見。。。今回も「自由劇場」だから観たのです(*^-^)
なにせ「ファミリー向け」ですから、
『はだかの王様』にも通じる簡素さが、結末までをも含めて、ありました。
そして簡素化されているが故に、いっそう際立つのが「鬼って、なに?」という問題。
主人公「桃(山)次郎」君は、
「君(鬼)たちの事を知らずに退治しようと乗り込んで来たことを謝ります」
なんてな事を言ってしまう。
桃次郎君が知っていたのは、鬼は宝物をいっぱい持っているから奪ってこられる事と、
道中で「猿・雉・犬」に教えられた「鬼は醜く・卑しく・しつこい」という事だけ。
そう、桃次郎君は、
自分が住んで居場所を鬼に襲われたという経験があるわけでもないし、
「鬼に苦しめられてる人がいる」と聞いて義憤を感じているわけでもないのです。
なのに「鬼」という言葉に操られて退治に向かう。。。
こう考えると、「鬼」とは「無知」そのものの、という気がします。
「知らない」から嫉み、蔑み、見下し、そして退治しようとしてしまう。
「知らない」事があるのは、確かに不安で、無視してしまいたくなるものですし。
無視するには破壊が簡単、、、というわけで退治してしまう。
この「無知ゆえに退治する」図式は、自分自身に関してよく起きている事。
他人を「知らない」なんて事は「あたりまえ」ですけれど、
実は、最も「無知」なのは「自分自身」に関する事。
たとえば、自分の歩く姿なんて、めったに見られませんよね(笑)
他人の歩く姿からはいろんな情報を得られることを考えれば、
自分の歩く姿を見られないというのは大いなる情報欠落です(*^-^)
さて、この「無知」ということ、
とくに「自分自身に関する知無」がどんな結末を生むのか。。。
この『桃次郎の冒険』には、ちゃんとその結末が描かれています(*^^)
鬼が島で窮地に居た桃次郎君を助けてくれていたスモモちゃんが死んでしまうのです。
しかも、あろうことか、その瞬間に桃次郎君はただ呆然としていて、
大切な、そして本当は大好きになったスモモちゃんを守れなかったのです。
「ファミリー・ミュージカル」なのに死人が出るというこの芝居は、
しかし、こうして考えれば当然の結末とも考えられるわけですね。
と、いうわけで、
『桃次郎の冒険』でみかん星人が観た幻覚は「無知の怖さ」でありました。
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コメント
真冬さん、コメントありがとうございます。
【疑心、暗鬼を生ず】なんて言葉もありますが、「知らない」というのは怖いし、残念なことだと思います。ほんの少し踏み出して「教えて」と伝えるだけで、新しい世界に出会えるのに。。。
「ファミリー・ミュージカル」には、映画の「クレヨンしんちゃん」とか「ドラえもん」に通じる面白さを感じました。お値段も安いですし、機会がありましたらぜひ。。。ただし、あまり前の方での観劇はお薦めできません(笑)身長180センチ並みの座高をもつみかん星人(海辺の写真参照)は、座席に沈んだまま鑑賞して、腰が痛くなりました(笑)
あと、どこかから子どもをさらって連れて行けば、もっと楽しいでしょう。
投稿: みかん星人 | 2005年8月18日 (木) 午前 10時14分
これで、ファミリー・ミュージカル2連続のご観劇ですね。お疲れ様です。
私も未見ですが、みかん星人さんのレポを拝見して、色々と考えさせられました。
『鬼とは何か?』
人間は正体の分からない相手を、恐れたり忌み嫌う傾向にありますよね
・・・私もそうです。
そして、終戦の日の今日、その最たるものが戦争であったのだと思いました。
『無知の怖さ』
肝に銘じておきます。ありがとうございました。
投稿: 真冬 | 2005年8月15日 (月) 午前 07時17分