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2005年8月15日 (月)

『ザ ウインズ オブ ゴッド』 @紀伊国屋サザンシアター

1988年に『リーインカーネーション』というタイトルで公演が始まり、
1991年には芸術祭賞を総なめにした名作、
『THE WINDS OF GOD ~零のかなたへ~』
を、新宿のサザンシアターでようやく観ました。

この舞台と言えば、
原作・脚本・演出そして主演の「今井雅之」の存在が肝。
1961年生まれの今井君が、
1945年の「愛する者のために命を懸けて戦った若者」の姿を通して、
どんなメッセージを伝えたいのか?
今井君と同い年のみかん星人には、それが最大の感心でした。

時を越えて過去に転生するという発想。
簡略な舞台装置で表現される飛行シーン。
そして様々な発声による台詞で巧みに積み上げられる登場人物。
悲劇独特のカタルシスも充分で、
確かに魅力的で素晴らしい舞台だと思う。。。だけど。。。

だけど、
「なぜ、いま、この物語を舞台にするのか」を感じ取れなかった。
戦争を知らない世代が作る舞台がこれで良いのだろうか?とも感じた。

確かに
人には忘れてはいけない歴史がある。
(チラシのコピーより)でしょう。
それは折に触れて再認識すべき事でもあるとも思います。
だけど「戦争における悲劇」を芸術において表現するとき、
「こんなに酷い戦争・歴史があったのです」だけで良いのだろうか?
ギリシャ悲劇を基礎とするような「情念が生み出す悲劇」ならともかくも、
【戦争】という政治行為が生み出した悲劇を語り、
そしてそれを通じて【反戦】というメッセージを伝えたいのなら、
こんなに悲しい事になるから、戦争をしてはいけない
だけでは有効ではない、と、みかん星人は思うのです。
実際、今まで多くの「戦禍」報道があったにも関わらず、
戦争は終わっていないのですから。

「なぜ、こんな悲しい事になったのか・・・」と、
その原因を探ろうとする明確な視線が、この舞台に、今井君に、欲しい。
いや、これはみかん星人の一方的な願望ではなく、
既にこの『ザ ウインズ オブ ゴッド』の中に存在している視線なのだから。
それは、過去に転生した主人公が転生してしまう前を思い返して言う、
「あの時、キンタを新幹線に乗せておけば、こんな事にはならなかった」
という台詞です。
この視線が今井君の中にあるのなら、
1945年の8月における「あの時」を見通す事ができるハズですし、
それこそが、戦争を知らない世代における【反戦】の原点になると思うのです。

確かに悲劇を語り、それを伝えてゆくのは大切でしょう。
しかし
ぼく達の先輩は、なぜあんな無謀な戦争をしたのか
という疑問の中にこそ、
次の戦争を回避する答えが潜んでいるのではないでしょうか?

みかん星人がこの舞台に感じたのは、こんな歯がゆさでした。

そうそう、、、この舞台の演出でちょっと気になったこと。。。
寺川中尉が日本刀を素振りする場面があるのですが、
その素振りを客席に向かって行うんです。。。これは、とても怖い。
舞台では、なによりも「安全」が最優先のはず。
万一、刀が柄から抜けてしまったら・・・それは「絶対にありえない事故」ではないのです。
いろんな舞台を観てきましたが、
例えばチャンバラが名物のキャラメルボックスの舞台を観ていてすら、
舞台での武術に「怖い」と感じたことは無いので、
『ザ ウインズ オブ ゴッド』のこの場面(しかも2度ある!)で感じた怖さは、
なんとかしてもらいたい。

今日8月15日の『笑っていいとも』に今井君が出るようです。
この舞台は2001年9月の沖縄での公演を最後にする予定だったとの事。
が、【9・11】をきっかけにして、4年ぶりに今回の再演となったそうです。
今日は、その辺りのことを語ってくれるだろうか?
もし、語ってくれたなら、放送後この項は追記します。

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コメント

 その2001年9月の沖縄公演を見ました。
 ものすごく面白い舞台だ、と思った瞬間
 そう思ってしまう自分が許せないような
 とても複雑な気持ちになりました。
 高校生の時に『連合艦隊』を見て
 涙してしまった時や
 『ライフ・イズ・ビューティフル』を
 見終わったときの気持ちに似ていました。
 
 とっても魅力的だ。
 でも、こんなものに感動してしまってもいいのか
 という思い。
 
 それはみかんさんの言うとおり
 「戦争を引き起こしてしまった原因を引き受ける
  論理性の欠如」にあるのですよね。
 
 日本軍部にも、海軍将校などには良識人が多く、
 あの戦争に反対していた者もいた。
 しかし、彼らも、一旦戦いの火蓋が切られると、
 その状況を受け入れ、寡黙に戦った、などと
 語られています。
 私は、そんな輩こそ問題なんじゃないかと思います。
 
 軍国主義に染まりきって盲目的だった軍人はもちろん
 その国体の中で訳が分からなくされていた一般国民にも、
 戦争責任は無いとは言えないと思います。
 でも、論理的にことを見据える立場にいられた人間が
 それを止める努力をしなかったことは、
 許し難い罪であると思います。
 
 兄貴の前世である岸田中尉には、
 そういう将校の匂いを感じるし、
 兄貴にも金太にも、
 「巻き込まれてしまったからには
  ここに来てしまったからには仕方がない」
 という「潔さ」を美談にしようとする
 雰囲気が感じられました。
 「愛する者のために命を懸けて戦う」ことは
 確かに美しく見えてしまう。
 でも、「愛する者のために命を懸けて
 戦いを起こさないようにする」ほうが、
 何倍も美しいし、生産的ではないでしょうか。
 
 本当に愛する人がいるならば、
 その人を絶対に悲しませないように
 命を張りたいですよね。
 
 長くてごめんなさい(^^;

投稿: 海紘 | 2005年8月16日 (火) 午前 11時54分

海紘さん、腰の据わったコメントありがとう(*^-^)

そう、とても面白くて、とても感動する舞台なのです。
で、まあ、それはそれで良いとは思います。
エンターテインメントですからね。

けれど、そう、ともかく海紘さんが書かれた、
》「潔さ」を美談にしようとする雰囲気
がとても気持ち悪いものでした。
あの場面では、
「特攻しなきゃだめなんだろ!
 わかったよ!やってやるよ!
 腰抜けなお前達が作った歴史の中で死んでやるよ!」
ぐらいの暴言を吐いて悔しがりながら飛んでほしかったし、
きっと多くの特攻隊員も似たような気持ちだったハズ。
けれど(特に)キンタはそれを使命の様に感じて飛び立ってゆく。
綺麗に、立派に、潔く、福元少尉として死んでゆく。

いま、そんなものを感動的に描く時代なのか?
と思ったのです。


「笑っていいとも」に登場した今井君は、
「なぜこの芝居を再演する気になったのか」
を語りませんでしたが、
舞台のカーテンコールの中でそれは説明されていました。
2001年9月11日にアメリカ合州国で起きたあの同時多発テロ。
その報道でWTCへのテロが、
「KAMIKAZE ATTACK」と呼ばれたことに衝撃を受けて、
「あのテロと神風特攻隊は違う」事を伝えたかった、、、
からの再演だそうです。

確かにあの9・11テロが目標としたのは一般市民であり、
その卑劣さにおいては歴史的に観ても最悪だろうとは思います。
けれど、特攻する側(ビルに飛び込む側)の心理・心情において、
どれほどの差異があるといえるのでしょう?
「鬼畜米英に侵されたくない」とか、
「自分達の文化・宗教を守りたい」といった思想において、
その差異はどれほどのものだと言えるのでしょう?

いやそれはともかくも、ここで考えなければならないのは、
「わが国の神風特攻隊の方が荘厳で悲壮で壮絶で麗しい」
と考える姿勢にこそが問題なのではないか、、、
という事なのです。
むしろいま考え、訴えるべきは、
「なぜ、あのような蛮行をする必要に至ったのか」であり、
とりわけ同時多発テロにおいてのその原因の追究は、
その後のアフガニスタンにおける内乱や
イラクへの侵攻の起因であり、
ひいては「日本」がどんな立場で国際社会と関わるかという問題を解き明かす重要な事柄だと思うのです。

だからこそ、
いま、この芝居を上演することに関して無関心ではいられませんし、
「感動しているだけで、感動させるだけで良いのか」と、
問い掛けたいと思ってしまうわけです。

コメントなのに長くて失礼しました(笑)
本当は先日観た劇団四季の『ミュージカル・李香蘭』の感想とかも書いて、
この辺りの事をもう少し書きたかったのですが、
時間がなくて書き込みが作れません。
しばらく更新も出来ずじまいになりそうなのて、
なにを言いたいのかを忘れてしまいそうです(笑)

投稿: みかん星人 | 2005年8月23日 (火) 午前 12時09分

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