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2005年2月 9日 (水)

『コーラスライン』@自由劇場

 みかん星人を「ミュージカル好き」にした犯人(笑)が、
 「A.C.L.」(A CHORUS LINE)こと『コーラスライン』だ。

 それが、みかん星人の舞台観劇熱を蘇らせた「自由劇場」に掛かっている。
 みかん星人は、この芝居を、2004年演劇ベストの2位にした。

 で、今日また行ってきた。。。これが最後だろう、残念だけれど。
 取った席は1階の一番後ろ。1階では最も舞台から遠い席。
 が、私の隣には「演出家」が座っていた。。。マイクに向かって。

 あんなに近くで、人が「演じている」のを見たことが無かった。
 それは、予想をはるかに越えた「集中」と「自制」と「気力」の要る作業に思えた。

 この芝居では、後ろに下がった演出家は、「芝居」をしていないと思っていた。
 マイクに向かい、舞台の上に居る役者と決まった会話を成すだけだと。
 なにしろ、演出家をちゃんと観ているのは、隣に座れた客だけなのだから・・・

 しかし、、、演出家は「芝居」をしていた。
 や、隣にすわって居たのは「演出家」そのものだった。
 彼は、助手から渡された履歴書と写真を眺め、舞台に立つ人物に語りかける。
 ディアナに話を促すとき、彼は、ディアナの写真の裏にある履歴書を眺めながら、
 「履歴書に書いてないことを話してくれ」と言う。
 舞台の上に反抗的な態度を感じると、威圧するように姿勢を正して「髪をほどけ」と言う。
 思春期の悩みを打ち明ける青年に同調し、そして笑う。
 むかし愛した女性との会話の中で露になる自分の気持ちに負けまいとする。

 そう、私の隣には「ザック」が座っていた。
 紛れもない「ザック」がオーディションをし、決断し、明日に進みだした。

 芝居に限らず、すばらしい芸術に触れると「ちから」をもらえる。
 今日の『コーラスライン』からは、強い二つの「ちから」を貰った。

 「後悔することなく、前向きに生きる」という「ちから」と、
 「人は、こんなにも集中して、完遂することができる」という「ちから」だ。

 間違いなく、2005年のベスト・アクトだ(笑) 

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コメント

 コメントありがとう。

 『演劇集団キャラメルボックス』(リンク参照)
 の話題が出たついでなので、
 演出家・成井豊さんが書いたことに関して。

 2004年クリスマス公演の『スキップ』での
 「往復書簡」
 http://www.caramelbox.net/skipdiary/index.html
 の10月22日で、成井氏は、
 「ミュージカルにおける記号」という話をしています。
 これ、物凄く面白いんだよね。
 例えば、、、上に書いた『ライオンキング』
 この登場人物?動物達は、まさに【記号】。
 似たような典型として『CATS』もあげておこう。
 そして成井氏も上げている『オペラ座の怪人』も。

 さて、そういう視線から観ると、
 この『コーラスライン』は、異質。

 つまり、『コーラスライン』では、
 分かり易く【記号】として存在するのは、
 舞台の上に複数居る「参加者」という【記号】と、
 客席に一人だけ居る「演出家」という【記号】の二つだけ。
 で、その「参加者」の「個々の内面」が表現されてゆく。。。
 そしてその表現されてゆく一人一人の「内側」に、
 演じている「役者」の素顔や歴史までもが重なってくる。
  (今回の公演でのキャシーなど、その典型)

 さらに凄いことに、
 【記号】の権化の様に存在する「演出家」もまた、
 その「内側」を引き出されて裸にされてゆく。

 そしてこの「内側の追求」は、
 最後に「客」という存在にも向けられてくる。
 本来「舞台の傍観者」であるはずの観客もまた、
 「舞台」という点を支点としてその居場所を問われる。。。

 そう、、、実は、
 『コーラスライン』で最後まで【記号】として存在するのは、
 そうとは見えない「舞台」という【記号】だけなのですね。
  (こう考えてくると、ようやく「鏡」の意味が見えてくる)

 ブロードフェイであれほどロングランされた理由、
 何度も何度も足を運ばされてしまう理由は、
 こんな処にあるような気がします。

投稿: みかん星人 | 2005年2月13日 (日) 午後 11時02分

 少し前にキャラメルボックスの俳優さんの対談の中に
 「北島マヤになっちゃったら芝居は出来ない」
 というコメントがありました。
 本当に役になりきってしまったら、
 きっかけや、動きが決められない。
 演劇は相手があって、音があって、
 光があるものだから、生身の人間として
 舞台の中では生きられない。
 いつも、何割かは、
 自分を客観的に観る目が必要だと書いてあって
 とても納得しました。

 でも、ザックは、
 唯一「なりきってしまえる役」なのかもしれない。
 相手の動きも、音楽のきっかけも、
 照明の場所も気にせずに、
 まさに「ザックとして生きられる」役。
 気持ちよく役になりきってしまえる
 ものすごく特別な役。
 そういう機会を得た俳優さんの演技というものは
 本当にスペシャルなのだろうな。
 うらやましいです。
 私もまた観たかったなぁ・・・<ACL

投稿: みひろ | 2005年2月13日 (日) 午前 01時28分

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